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[継承者だけが知る素顔]中畑清「俺は最高の幸せ者」

posted2025/07/27 09:00

 
[継承者だけが知る素顔]中畑清「俺は最高の幸せ者」<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa / SANKEI SHIMBUN

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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Keiji Ishikawa / SANKEI SHIMBUN

'80年に監督を辞した長嶋は、12年もの浪人期間をユーモア溢れる文化人として活動していた。一躍、お茶の間の人気者となった恩師の姿を、ミスターを誰よりも知る男は「演出」だと話す。

 1980年シーズンを終えてジャイアンツのユニフォームを脱いでも、長嶋茂雄はいつも話題の中心にいた。

 キューバを始め「野球大使」として外国を回り、オリンピック、スーパーボウルの盛り上げにも一役買った。世界陸上で親交あるカール・ルイスを「ヘイ、カール!」と呼び止めたシーンは、誰もが記憶するところ。ユーモラスで親しみやすく、そこにミスターがいればどんな舞台であってもパッと明るくなった。

「あれは全部、ミスターが演出しているんだよ。お客さんや周りの人が喜ぶことばっかり考えている人。俺から言わせれば野球人であっても文化人であっても長嶋茂雄を演じていた。天然なんかじゃない」

 そう語るのは一番弟子を自任する中畑清である。長嶋政権第一期にサードの後継者となっただけでなく第二期で打撃コーチを務め、アテネ五輪でもヘッド兼打撃コーチを任されるなど全幅の信頼を置かれてきた。

 12年間にも及ぶ第二期までの浪人時代が“リアルミスター”ではなく、それもまた“演出”と語る、その真意は――。

 '80年10月21日、この年キャリアハイの22本塁打を放ち、レギュラーの座を手中に収めた中畑はシーズンオフ、ゴルフ場にいた。師の事実上の解任発表が夕方のニュースに流れると、あまりにショックで事実を受け止めきれなかった。

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