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「濱中をオリックスにください」「ナメてんのか!」阪神生え抜きスター・濱中治の電撃トレードはなぜ起きた? オリックスと阪神“寿司屋で極秘交渉”
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岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2025/07/08 11:03
2007年オフ、阪神の生え抜きスターだった濱中治はオリックスへトレード放出された
中村:……いや、そんなことないです。濱中は絶対欲しいです。
黒田:じゃあ、阿部くれ。吉野あげるから。
「駆け引きせんとね。濱中はね、肩を壊していなかったらトレードしませんよ。彼のためにも、DHのあるパ・リーグのほうがいいだろうと」
5日後、2対2のトレードが発表された。吉野はオリックスで貴重な中継ぎ左腕として重宝された。一方、濱中は期待された結果は残せなかった。引退後、トレードについて〈無茶苦茶ショックでした。タイガースで何とかして活躍したかったですし、せめてあと1年待ってほしかったです〉(24年9月12日配信/Full-Count)と振り返っている。気持ちの整理が付かなかった影響もあったかもしれない。
「岡田彰布に(トレード)止められた」
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平野は阪神で復活し、08年にカムバック賞を受賞。10年から2年連続でベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝いた。阿部も移籍1年目は中継ぎで32試合に投げ、防御率2.96と働いた。
翻ってみれば、掛布と門田のトレード消滅は20年以上先のタイガースにも影響を及ぼしていた。もし80年オフに阪神と南海のトレードが成立していれば、黒田は根本陸夫と親密になっていない。その1年後の西武移籍によって、「球界の寝技師」からフロントとしての奥義を学ぶ機会を得ていた。
「トレードをする時、監督には『出してもいいですか』と先に聞きますよ。交換相手が上がってきたら、相談します。『ウチに合わないんちゃいますか』となれば、また練り直す。ノムさんはトレードをしたがらないタイプでした。『ええやろ。向こうもわからへんで。今いる選手でなんとかする』とかね。岡田は人情のあるタイプだから、『ちょっと待ってください』と止められた時もあったな。それが誰かは言わへんけど(笑)」
黒田がフロントに入って以降、阪神はトレードで成功を収める。そして、FAやドラフトでは、巨人と熾烈な争奪戦を繰り広げた。のちにチームの主軸となる関東出身の鳥谷敬はなぜ、巨人ではなく阪神を逆指名したのか――。
〈つづく〉


