革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「野茂英雄が行っていなかったら、道がないですよ」1994年の近鉄バファローズが生んだものとは…藤井寺の「夢の跡」に“彼らの息づかい”は今も
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2025/06/27 11:04
ひとりの革命者を生みだした「1994年の近鉄バファローズ」。近鉄も、藤井寺球場もなき今でも、その息づかいが残る場所がある
泥臭さと熱気、そして緊張感が漂っていたはずの藤井寺は、住宅街と学校、そして古墳群が織りなす、実に落ち着いた、静かな雰囲気の街へと変貌していた。
徒歩数分の藤井寺駅に戻って、今度は南へ向かう。
球場と逆側だった目的地
藤井寺一番街、西門筋商店街。入ってすぐ右、少し奥まったところに、近鉄の一時代を築いた好打者・栗橋茂が引退前からオープンしていたスナック「しゃむすん」がある。歩を進めていくと「葛井寺」。これで「ふじいでら」と呼ぶ。本尊の千手観音は、725年だから奈良時代、聖武天皇が自身の厄除けのために奉安したといわれ、国宝にも指定されている。
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藤井寺球場とは藤井寺駅を挟んで逆方向になるため、担当記者時代は足を運んだ記憶がなかった。“闘いの場”からちょっと離れたところに、こんな静寂を保ち続けている場所があると気づいたことがまた新鮮でもあった。もうここに「いてまえ打線」はいないんだなと実感する。どこかしら「猛牛」という言葉が結びつかないような、静かな街並みなのだ。
その商店街を抜け、駅からだと徒歩で10分程度。古墳の街らしく、船形埴輪をモチーフにしたという印象的な形の屋根が目印ともいえる「アイセルシュラホール」に出くわす。
来たかったのは、ここだった。
藤井寺市には、隣接する羽曳野市と合わせ、約4キロ四方の中に、大小含めて120といわれる「古市古墳群」が広がっている。藤井寺市立生涯学習センター(現・藤井寺市立にぎわい・まなび交流館)が正式名称の「アイセルシュラホール」は、市民の学びの場を提供する施設で、1994年にオープン。
そこに野茂がいた
ここが2025年4月にリニューアルされ、古墳群の成り立ちなどを含めた藤井寺の歴史を辿ることができるのだが、そのフロアの一角に「ふじいでら再発見コーナー」がある。
そこに「野茂」がいた——。

