革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER

野茂英雄は日本球界に何を残したか「日本人でも、武器があればメジャーで」…佐々木誠・長谷川滋利そしてイチローが「やれないことはない、と」

posted2025/06/27 11:03

 
野茂英雄は日本球界に何を残したか「日本人でも、武器があればメジャーで」…佐々木誠・長谷川滋利そしてイチローが「やれないことはない、と」<Number Web> photograph by Takahiro Kohara(L)/Koji Asakura(C)/Kazuaki Nishiyama(R)

長谷川滋利、イチロー、佐々木誠。野茂の挑戦を見た彼らの心には「やれないことはない」という思いが生まれた

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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Takahiro Kohara(L)/Koji Asakura(C)/Kazuaki Nishiyama(R)

野茂英雄がメジャーに渡って30年。彼の渡米はどうして可能になったのか? すべてがはじまった前年、1994年の近鉄バファローズの関係者を当時の番記者が再訪し、「革命前夜」を描き出す。野茂を追って海を渡った長谷川滋利、そしてイチロー。彼らを知る藤井康雄と、自らもメジャー挑戦のチャンスがあったという佐々木誠がそれぞれの秘話を明かす。〈連載「革命前夜〜1994年の近鉄バファローズ」第24回/初回から読む前回はこちら

 藤井康雄は、後輩の姿を見ながら「日本でやり尽くした、っていうのは、やっぱり感じましたよね」と、イチローがメジャーに挑もうとしたその心意気に、深く理解を示していた。

日本ではもうやり尽くしちゃったのかな

「最初の頃は、イチローの打席になるとみんなが注目した。もうイチロー見たさで、94年なんか、どの球場に行っても、パ・リーグの試合でこんなに人が入るの? っていうくらいで、僕らも経験したことがなかった。イチローの打席になると、みんながスタンドからカメラを構えて、フラッシュがもう凄かった。

 ベンチで見ていても、え、あんな球をヒットにするの? 今の球、ワンバウンドじゃない? それをヒットにするか? って、僕らも驚きの方が多かったんです。イチローって、とてつもない選手だなって。

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 でも、それがやっぱり2年、3年、4年とたっていくと、イチローだから当たり前、っていうような世界になってきた気がします。チームの勝利というところに関しても、イチローにつなげば、何とかしてくれるというのもあった。ただ、それがマンネリになっているというところが、我々にも、ファンにもあったのかな……。もう、やり尽くしちゃったのかなという、日本であれだけ活躍して、首位打者獲るのが当たり前、っていう、周りもそういう見方をし始めちゃったんでね」

経緯こそ野茂とは違うが

 野茂英雄とは、メジャーへ至るまでの経緯は明らかに違う。

 それでも、4年連続最多勝&最多奪三振の野茂と、7年連続首位打者、日本での9年で通算打率.353のイチロー。突出したその成績が、ファンのさらに高い期待値へと昇華していくのはスターの宿命とはいえ、その期待に応え続けるという重圧、そして前人未到の域を常に更新していくモチベーション維持の難しさが生じてくる。その一方で、世界最高峰への憧れとその高みへ挑戦したいというアスリートの本能がうずくのも、これまた必然なのだろう。

【次ページ】 長谷川滋利という男

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