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野茂英雄は日本球界に何を残したか「日本人でも、武器があればメジャーで」…佐々木誠・長谷川滋利そしてイチローが「やれないことはない、と」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byTakahiro Kohara(L)/Koji Asakura(C)/Kazuaki Nishiyama(R)
posted2025/06/27 11:03
長谷川滋利、イチロー、佐々木誠。野茂の挑戦を見た彼らの心には「やれないことはない」という思いが生まれた
映画鑑賞も英語音声と英語字幕で
長谷川と藤井は当時、徒歩1分のところに自宅があり、行き来する仲だったという。共通の趣味は、家に100インチの大スクリーンを掲げ、サラウンドで映画や音楽を楽しむことで、2人で常に、映画や音楽を鑑賞していた。その映画を見る時も「英語で聞きながら字幕も英語だったんですよ」と藤井は証言する。常にメジャーを意識しながら、アメリカでの生活も想定し、球場でもプライベートでも、その大目標につながる形で過ごしていた。
「どうしたら自分のボールがメジャーで通用するんだろう、と考えていたのが長谷川でした。このくらいのレベルのボール? っていう感じでしたから。ホントにハセに関しては、これだけの実績を残すなんて、というのは、やっぱりその対応力だとか、どうしたらメジャーで通用するんだろうというのを、常に考えていたからなんでしょうね。常に勉強、常にアメリカを意識したコミュニケーション能力だとか、対応力、柔軟性がやっぱり、彼がメジャーであそこまでできたコツなんじゃないかと思いましたね」
長谷川の「適者生存」
メジャー通算9年、45勝33セーブ83ホールド。2003年にはオールスター出場も果たした右腕が、同年に幻冬舎文庫から増訂版として出版した著書の題名は『適者生存』。
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そのまえがきに、長谷川が“成功の秘訣”として記していた自己分析を抜粋してみる。
僕がメジャーリーグに挑戦した時、多くの人は、僕がメジャーで生き残ることに懐疑的だった。でも、僕には自信があった。そしてそれが可能になったのは「なりたい自分」を常に自分が追い求めてきたからだと思う。
徹頭徹尾、自分を貫き通した感の強い野茂やイチローとは対照的な生き様だ。その三者三様の姿を見て来た藤井の証言だからこそ、また重みがある。
もちろん佐々木誠も、野茂のメジャー挑戦に、大きく感化された一人だった。
「やれないことはない、という気持ちにね、そうそう、なるなる」


