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「やっぱりあのフォークはメジャーでも通用するんだ」野茂英雄を最も打った左打者・藤井康雄も「“浮き上がる”フォークはお手上げでした」 

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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photograph byTakahiro Kohara

posted2025/06/27 11:02

「やっぱりあのフォークはメジャーでも通用するんだ」野茂英雄を最も打った左打者・藤井康雄も「“浮き上がる”フォークはお手上げでした」<Number Web> photograph by Takahiro Kohara

野茂から4本のHRを放ったオリックスの藤井康雄が体感した、「野茂がメジャーで通用した理由」とは

「野茂のフォークはやっぱり、腕の振りがいいんで、抜けたときのタイミングでボールが一回、頭上にポンと上がって、そこから落ちてくるような感覚だったんです。あれは衝撃でした。

 だいたいフォークボールって、真っすぐに見えるものが、最後にストンと落ちて振ってしまう感覚でしたけど、野茂のフォークは、潮崎(哲也=西武)のシンカーもそうなんですけど、腕を振ってボールが出てくる瞬間、ポッと浮き上がって、そこから落ちる。そんな球、見たことなかったですよ。タイミングがそこで外されて体が泳いで振ってしまうか、手が全く出ないか。

 そのままストレートだったら、指にかかって速い球が来るんでしょうけど、その腕の振りで抜けるボールを投げてくるから、浮いたように見えるんじゃないかな」

フォークが来た時にはお手上げ

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 野茂がプロ初勝利を挙げた1990年4月29日は、兵庫・西宮球場でのオリックス戦だった。当時、阪急・足立光宏以来、28年ぶりとなる日本タイ記録の17奪三振という圧巻の完投勝利。「6番・右翼」でスタメンに名を連ねていた藤井も2三振を喫している。

「もちろん、あのフォームもそうですけど、ストレートも当時で言えば、やっぱり速かったですし、そこにあれだけの緩急差のあるフォークボールを放られたら、そりゃ、もう振ってしまいます。真っすぐだと思って打ちに行って、落ちてくるっていう感じで、それが来た時はもう、はい、お手上げです」

 だから、完全にフォークを思考の中から外し、割り切ったのだという。

 野茂からは通算4本塁打。これは清原和博の10本、秋山幸二の8本、オレステス・デストラーデの6本に次ぐ4位。野茂と藤井のいたオリックスは、5年間で20試合の対戦と、パの5球団の中で最も少なく、西武の42試合と比べるとその半分以下だから、大雑把に言えば、清原や秋山の半分の対戦で、藤井は4本塁打を放っていることになる。

【次ページ】 HR4本打ったのは自慢です

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