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「やっぱりあのフォークはメジャーでも通用するんだ」野茂英雄を最も打った左打者・藤井康雄も「“浮き上がる”フォークはお手上げでした」 

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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photograph byTakahiro Kohara

posted2025/06/27 11:02

「やっぱりあのフォークはメジャーでも通用するんだ」野茂英雄を最も打った左打者・藤井康雄も「“浮き上がる”フォークはお手上げでした」<Number Web> photograph by Takahiro Kohara

野茂から4本のHRを放ったオリックスの藤井康雄が体感した、「野茂がメジャーで通用した理由」とは

「どちらかと言えば、カーブってどんなピッチャーでも“止まれる”んです。真っすぐで待っていても、カーブだと分かったら、一回待って打てる。だから、意外と工藤(公康=元西武、ダイエーなど)ってのは、左対左でしたけど、僕は嫌いじゃなかったんです。打ちに行っていても、そこで止まれるんです。

 でも、フォークは止まれない。体が前に出されながら振ってしまうような感じですね。野茂の場合、フォークはもう振ってもしょうがない。振るものだ、っていうんですか、だから、真っすぐもフォークもどっちも打つというのが彼の場合にはまず、僕はできなかったので、ホントに割り切りです。その打席の中で、3球フォークを放られたら、もうしょうがない、っていうくらいですね」

メジャーでプレーすることは考えがつかなかった

 その宝刀・フォークを引っ提げて、メジャーの大舞台で活躍するライバルの姿に「やっぱり、あのフォークボールって、メジャーでも通用するんだ、って感じでしたね」という。

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 藤井は、1990年の日米野球に出場し、7試合で12打数2安打の打率.167。6三振を喫している。ちなみに、その年の日米野球で敢闘賞を獲得したのが、前回に登場した佐々木誠だった。シアトル・マリナーズの身長2メートル8センチ、「ビッグ・ユニット」こと、ランディ・ジョンソンと対戦した際には「身長5メートルくらいのピッチャーがマウンドに立っているのかと……。腕も長いし、腕を振ったら、もうキャッチャーミットにボールが入っているくらいの感覚でした」と、メジャーのスケール感には驚かされたという。

 ただ、メジャーの舞台で自分がプレーするとは「思わなかったですね。というより、考えがつかなかったです」。メジャーに挑戦するという、そのコンセプト自体がまだ、日本球界には浸透していなかった時代背景だったのは確かだ。

【次ページ】 メジャーに憧れる後輩たち

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