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「残念だけど、お前は戦力に入ってない」実家で父親・長嶋茂雄が告げた戦力外通告…“2世”長嶋一茂が現役引退した日「父子、巨人での4年間」
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2025/06/22 11:06
1993年、巨人にトレード移籍した長嶋一茂。写真は同年オープン戦で、長嶋茂雄監督と一茂
プロ9年目の1996年シーズン。一茂はバント練習を不服としてコーチに対する舌禍事件を起こし、さらにはパニック障害にも襲われ、この年限りでユニフォームを脱ぐ。30歳になっていた一茂を自宅の二階自室に呼び、「残念だけれど、お前はもう来季の戦力に入ってない」と告げたのは、60歳の父・茂雄だった。
通算384試合に出場して打率.210、161安打、18本塁打、82打点。日本中から“長嶋茂雄の再来”を期待された9年間が終わりを告げた。今思えば、プロ野球史上最大級のプレッシャーと喧噪の中で、18本ものホームランを放ったという事実は、もっと称賛されてもいいのではないだろうか。親の七光りだけで、神宮球場のバックスクリーンに特大アーチは叩き込めないのだから。
2人だけの時間「地下室での特訓」
なお、一茂は家族全員で食事をした記憶がほとんどないという。母・亜希子は常に日本中が注目するプロ野球選手、父・茂雄の体調を考えた食事の用意に追われ、家族で楽しくおしゃべりしながら食べるなんて考えられなかった。長嶋茂雄は、国民みんなのスターであり、息子が独占できるような存在ではなかった。そんな近いようで遠い父との数少ない二人きりの時間は、学生時代から続く、自宅の地下室で人知れず繰り返された打撃練習である。
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「確かにあの頃から俺は親父の特訓を受けるようになった。大リーグのフィルムを親子で見た例の親父の地下室で、何百球もティーバッティングをしたものだ。親父はいつも忙しい人だから、普通の家のように夕食後の一家団欒なんてうちにはあまりなかった。親父とコミュニケーションを取ろうにも、めったに家にいないのだ。だから今になって思い返してみると、あの頃の練習が俺にとっては、親父との最も深いコミュニケーションの思い出だ」(三流/長嶋一茂/構成・文 石川拓治/幻冬舎)
手のひらがボロボロになるまでスイングを繰り返し、懸命に汗を流す息子を見守る父の姿。余計な言葉などいらない。そこにバットとボールがあればよかった。
茂雄と一茂を繋いでいたのは、“野球”だったのだ。

