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「長嶋さんの服は亜希子さんが選んで…」長嶋茂雄夫妻と2週間の“仕事旅行”…元フジテレビアナが見た「長嶋さんと亜希子さんの仲睦まじい関係」
posted2025/06/19 11:02

巨人監督時代の長嶋茂雄
text by

生島淳Jun Ikushima
photograph by
Sankei Shimbun
◆◆◆
「亜希子夫人が電話に出て…」
引退した翌年、1975年から長嶋茂雄は巨人軍の監督に就任した。岩佐さんはアナウンサーの立場から、こう見ていた。
「コーチの経験もなしに、連覇が途切れた後のチームをいきなり託された長嶋さんを気の毒に思いました。読売グループは、長嶋さんを“商材”として捉えていたと思います」
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1975年最下位。1976年、1977年とセ・リーグで優勝するが、日本シリーズで阪急ブレーブスに敗れる。続く1978年から3年連続でリーグ優勝を逃し、長嶋監督は解任される。そのとき、岩佐さんはアメリカにいた。
「ちょうどメジャーリーグのプレーオフの季節で、アメリカにいました。シンシナティ・レッズ、デトロイト・タイガ―スをワールドチャンピオンに導いたスパーキー・アンダーソンと話す機会があって、スパーキーは長嶋さんと懇意にしていたこともあり、『シゲには、こんなことは起きて欲しくなかった』と話していました。帰国してからフジテレビのプロデューサーにその話をすると、『それは長嶋さんに伝えた方がいい』ということで、自宅の電話番号を伝えられ、電話をしました」
その電話番号は、「いかにも長嶋さん」らしい番号だったという。
「長嶋さんは不在で、おそらく亜希子夫人が電話口に出たと思います。スパーキーからの言葉を伝えました」
「長嶋さんとドジャースの深い関係」
岩佐さんと長嶋夫妻の縁は、翌1981年に再びつながる。ワールドシリーズの中継を岩佐さんが実況し、長嶋さんがゲスト解説を務めることになったのだ。
「長嶋さんには、引き受けることに逡巡があったようです。現役、監督時代を通じて関係性が強かったのは読売、日本テレビ、報知ですから、フジテレビの仕事を引き受けるのはどうなのか……。ただし、決まってからの長嶋さんの入れ込みようは凄かったです」