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「不用意に左手を突っ込むな!」星野仙一が激怒のワケは? 中日レジェンド・山本昌が語る“恩師の素顔”…鉄拳も「全然、嫌だと思いませんでした」
text by

酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byJIJI PRESS
posted2025/06/20 11:03
プロ初勝利を挙げた1988年から山本昌が恩師として仰ぐ故・星野仙一氏。鉄拳も辞さない闘将だったが、そこには深い愛情を感じたという
星野の思いを別の形でも受け取っていた。無敵のスクリューを覚えて急きょアメリカから帰国した88年、シーズン初マウンドの救援登板でプロ初勝利をマークした。すると人生で初めて監督賞をもらった。中身を見たら、34万円が入っていた。背番号と同じ金額だった。
「リリーフの2イニングを投げただけなのに34万円なんて、賞金額では破格も破格なんです。ただ、お前、頑張ったな。プロ初勝利、おめでとうと。粋な計らいでした」
星野の厳しさは決して一時の感情に突き動かされたものではなかった。88年に5勝した山本昌は89年も9勝を挙げながら、シーズン終盤になかなか勝てず、「2桁勝利の壁」にぶち当たった。黒星が重なり、最終登板を前に星野に言われた。
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「お前、負けたらもう1回、アメリカに行ってこい」
結局、大台には届かず、星野から命じられたとおり、秋に再び渡米した。
「お前にはカーブが足りない」
そこではやはり生原が待っていた。
「お前にはカーブが足りない。カーブをもう1回、ずっと練習しよう」
それは着実にローテーション投手としての地歩を固めていた山本昌が投球の幅を広げるためのアドバイスだった。すでに右打者から逃げて落ちるスクリューが威力を発揮していた。一方のカーブは右打者に向かって入ってくる。しかも球速が遅い利点もある。つまり、カーブはスクリューと一対の変化球となるため、習得できれば打者にとっては的を絞りづらく厄介この上ない。
生原はさらに言った。
「このカーブを覚えるのに3年かかるよ」
それを聞いた山本昌は内心、毒づいていた。

