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「不用意に左手を突っ込むな!」星野仙一が激怒のワケは? 中日レジェンド・山本昌が語る“恩師の素顔”…鉄拳も「全然、嫌だと思いませんでした」
posted2025/06/20 11:03

プロ初勝利を挙げた1988年から山本昌が恩師として仰ぐ故・星野仙一氏。鉄拳も辞さない闘将だったが、そこには深い愛情を感じたという
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酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
JIJI PRESS
日本プロ野球の長い歴史の中で、ただ一人だけ50歳まで現役を続けた男がいる。1983年のドラフト会議で指名され、中日一筋のプロ生活を全うした山本昌だ。今年、ついに還暦を迎えるレジェンドにとって、30余年のプロ野球人生は果たしてどんなものだったのか。本人に話を聞いた。《NumberWebインタビュー全5回の4回目/つづきを読む》
「50歳現役」の秘訣は柔軟な思考や不屈の魂だけではない。人との濃密な出会いも山本昌にとって生きる力になっていた。
「ついていく人を間違えなかった」
「僕が一番よかったと感じているのは、ついていく人を間違えなかったことです。現役の頃、そういう嗅覚がありました。この人だと思えばとことんついていく。自分に合う人を選ぶのが上手だったんです」
山本昌には4人の大恩人がいるという。
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神奈川・日大藤沢高で甲子園にも行けなかったのにプロの世界に誘ってくれたスカウトの高木時夫、アメリカで親身に付き添ってくれたことで活路が開けたアイク生原、40歳を超えても活躍できる土台をともに築いた小山裕史、そして、中日で11年ものあいだ、監督だった星野仙一である。
「僕にとって恩師であり、恩人です。星野さんと出会わなければ、こういうピッチャーにはなっていません。一番近くで、長く見てくれたのが星野さんですから」
山本昌が一軍の先発ローテーションに定着しても「闘将」星野は厳しかった。逃げ腰になったり、気の抜けたプレーを見せるとたちまち鉄拳が飛んできた。平手で頬を打たれたことは何度もある。だが、独特の言い回しで当時のことをこう回想した。
「鉄拳されちゃダメなんでしょうか、という感じでしたね。別によかったです。僕は全然、嫌だとは思いませんでした」