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長嶋茂雄から1本の電話「一茂のこと、頼んだよ」…ヤクルト“長嶋一茂・ドラ1指名”ウラ話 元スカウト部長は「正直『うわー、困ったなぁ』って…」
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安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2025/06/12 11:01
1987年、ドラフト1位でヤクルトに入団した長嶋一茂。実はドラフト数日前、ヤクルトのスカウト部長のもとには父・茂雄から1本の電話が
調べてみればこの年、1987年のシーズンのヤクルト投手陣はというと、勝ち星順に、
・伊東昭光 14勝11敗・防御率4.27
・尾花高夫 11勝15敗3S・防御率3.96
・荒木大輔 10勝9敗・防御率5.07
・高野 光 7勝6敗11S・防御率4.02
「そんなに点を取られて、どうしてそんなに勝てたの?」というほど、防御率が悪い。チーム防御率4.51はリーグワーストだったそうだ。
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当然、補強の第1候補は即戦力の投手ということになる。ならば「投手1位」だったら誰だったのか?
「そら野田やろ。先発で即戦力いうたら、その年は野田しかおらんかったんと違うか」
ヤクルト、当初の1位指名は「即戦力の投手」
九州産業交通・投手・野田浩司。
後に阪神、オリックスでのプロ12年間で、先発を中心に316試合に登板して、89勝87敗・防御率3.50。150キロ近い快速球に、打者の視野から消える「お化けフォーク」と称された魔球を武器に、93年には17勝5敗でパ・リーグ最多勝、95年のロッテ戦では日本新記録の19奪三振をマークしている。
「野田は多良木高校(熊本)の頃から見とったからな。九州の高校三羽烏とかなんとか言われとって。他の2人は誰やったかな。もう忘れたけど、いやいや、素質は野田が抜けとった。この年、野田は社会人2年目や」
今もそうだが、高校から入社した者は社会人3年目からドラフト指名が許される。
「ところが2年目のこの年に、野田の九州産交が廃部になってん」
熊本県内で路線バスと観光バスを中心に運営していたバス会社だったから、一般に自家用車が普及し、観光地への団体旅行が減ってきた社会情勢の影響をもろに受けていた。
「つまり、無所属、浪人。野球選手として宙ぶらりんになっとってな。調べたで……ドラフトの対象としてどうなるんかって。(社会人)連盟の人間に何人も確認取ってな」

