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マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
長嶋茂雄から1本の電話「一茂のこと、頼んだよ」…ヤクルト“長嶋一茂・ドラ1指名”ウラ話 元スカウト部長は「正直『うわー、困ったなぁ』って…」
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安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2025/06/12 11:01
1987年、ドラフト1位でヤクルトに入団した長嶋一茂。実はドラフト数日前、ヤクルトのスカウト部長のもとには父・茂雄から1本の電話が
結局、特例として野田は「指名OK」となった。
「もちろん誰にも秘密やで。一本釣りや。スカウトの間では最初から『野田でいこう!』と、これでまとまっとったんや。それが……夏ごろからおかしくなった」
オーナーも「親子二代で神宮のスターに」
打線の絶対的主砲として活躍し、神宮の人気者にもなっていたボブ・ホーナー選手の「アメリカ帰国」の噂が流れ、クリーンアップと三塁手のポジションに穴が開きそうなチーム事情から、関根潤三監督の「長嶋一茂推し」が始まったという。
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「関根さんから吹き込まれたんと違うか。(松園尚巳)オーナーまで『神宮のスターはウチで預かって、ウチで育てて、親子二代で神宮のスターに』ってな。『うわー、困ったなぁ!』って、頭抱えたわ、正直」
どうして困るのか? それはそれで、「絵」としては最高の構図ではないか。
「アホ言え! 獲って大成してくれたらええで。アカンかったら……これ、どないすんねん? あんた……長嶋さんの息子やで」
実は片岡スカウト部長、浪華商(現・大阪体育大浪商)から立教大に進み、1年生から不動のレギュラーマスクをかぶりつづけたバリバリの野球部OB。
立教大黄金時代に、東京六大学リーグ戦で36勝をあげた伝説のアンダーハンド・杉浦忠投手とバッテリーを組んだ。その時、立教大の「4番・三塁手」として君臨していたのが1年先輩の長嶋茂雄選手、その人だったのだ。
「ドラフト終わって長嶋さんの家にどんな顔して指名のあいさつに行ったらええねん。ええっ? (大成する)確信なんか、あるかい! 確かに一茂は大きな長所は持っていたけどな。長打力とか、肩とかな。ほんでも、それと同じくらいの欠点が背中合わせや。あんだけ(身体が)開いたら、プロの変化球は打てへん」

