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ロッテの22歳山本大斗「明日、4番な。打てよ」から始まった“和製大砲”への道…サブローHCとの二人三脚秘話「お前ならいける…言葉が暗示に」 

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梶原紀章(千葉ロッテ広報)

梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara

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photograph byChiba Lotte Marines

posted2025/06/09 11:05

ロッテの22歳山本大斗「明日、4番な。打てよ」から始まった“和製大砲”への道…サブローHCとの二人三脚秘話「お前ならいける…言葉が暗示に」<Number Web> photograph by Chiba Lotte Marines

さらなる活躍が期待される山本大斗

サブロー二軍監督と二人三脚の日々

 サブロー氏が二軍監督に就任した2023年は、山本にとってプロ3年目。チーム内でパワーのある若者として期待されてはいたが、まだ粗削りな存在だった。前年に支配下登録され、一軍では2試合に出場したものの無安打。大舞台にはまだまだ遠い存在の選手だった。

 そんな中、サブロー監督(当時)は山本の強いスイングとガッツある姿勢に注目。厳しくも温かい指導が始まった。「サブローさんに無茶苦茶、鍛えられました」と山本。特に外野守備では「守備がダメなら試合に出られないぞ」と何度も言われた。求められたのは、球際への強さ。現在のアグレッシブな外野守備は、二軍で鍛えられたものだ。

 自慢の打撃に関しても課題は多かった。

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「変化球を打つのが苦手だった。これという球じゃないと打てなかった。もちろんこの世界には自信を持って入ってきたけれど、そう簡単には打たせてくれない。どうやったら打てるんやろうと悩んでいました」

 だから打撃フォームを一から作り直した。サブロー監督の助言もあり、間を取るために左足を上げるフォームへの変更を決意した。

結果をもたらしたフォーム改造

 毎日の特訓は試合後に行われた。室内練習場に場所を移して打ち込む。サブロー二軍監督が自らがボールをトスしてくれた。それをひたすら打ち続ける。その日課が1時間、2時間と続いた。時には「オレが現役時代にやってた練習法だ」と色々な練習方法も教えてもらった。

「付きっきりで遅くまで練習に付き添ってくれた。それは嬉しかったし、何とか期待に応えないといけないという気持ちになった」

 少しずつ投手の投げるボールにタイミングが取れるようになってきた。新しいフォームの何よりの収穫は、ストレート狙いの時も、変化球に対応できるようになった事だ。

「足を上げるフォームを覚えてから、ストレート狙いでも変化球を打てるようになった。かなり大きかった。自信がついてメンタル面も変わった」と手応えを口にする。 

 技術の次は、打席での意識の変化にも取り組んだ。チャンスの打席でポップフライを打つことが多かったが、そのたびサブロー二軍監督から「どういう気持ちで入っていたの? どういう狙いだったの?」と問いかけられた。

 ただ打つだけではない。プロセスがあり、投手との駆け引きがある。打席の深みを知った。よく試合中のベンチで山本はメモ帳に何かを書きつけている。そこには、打席でどのような“目付け”をしていたか。何を狙っていたか、その結果どうなったのかなど、その打席で思考していたことがビッシリと書き込まれている。いつもそれを見返して、振り返り、次の打席に生かしている。一軍で4番を担うようになった今でも、二軍時代に何度も言われたことを肝に銘じている証拠だ。 

「絶対打てるから」の言葉が力に

 山本の心に自信も植え付けてくれた。昨季は一軍に何度か昇格したが、結果が出ずに二軍に逆戻りした。そんな時、サブロー二軍監督は「オマエならいけるから。絶対打てるから」とポジティブな言葉をくれた。だから落ち込むことはなかった。逆に暗示のように言われ続けたことで、打てる日が来ると信じ続けることが出来た。結果、イースタン・リーグで19本塁打、66打点と二冠に輝くことができた。

【次ページ】 “恩人”との不思議な縁

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