プロ野球亭日乗BACK NUMBER

「品格、人間性も問われる」岡本和真なき「巨人の4番」はそれでも“特別”か?「僕も打ったことが…」亀井コーチが明かす“4番目”の選択肢の苦心 

text by

鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

PROFILE

photograph byNanae Suzuki

posted2025/05/27 17:01

「品格、人間性も問われる」岡本和真なき「巨人の4番」はそれでも“特別”か?「僕も打ったことが…」亀井コーチが明かす“4番目”の選択肢の苦心<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

岡本を欠く中で「巨人の4番問題」はペナントレースの戦い方を左右する大きなポイントとなる

「巨人の4番」は特別か?

 古くからのファンには「巨人の4番」は特別な存在、というイメージが大きいかもしれない。

 そもそも日本プロ野球初の三冠王・中島治康さんや打撃の神様・川上哲治さんなど多くの名選手を輩出したことが、「巨人の4番」を特別なものにしてきた。それを決定づけたのがV9時代のON、王貞治さん(現ソフトバンク球団会長)と長嶋茂雄さん(現巨人軍終身名誉監督)の存在だった。

 ONの後を受けて4番を任された原辰徳元監督は現役引退時に、「巨人の4番」を「聖域」と語りそのプレッシャーの大きさを語った。また監督となった長嶋さんは愛弟子の松井秀喜さんの育成にあたり“4番育成1000日計画”をぶち上げ、「巨人の4番」を打つ資格を身につけることを松井さんに課した。

ADVERTISEMENT

 今でも覚えているのは松井さんの入団2年目、1994年の出来事だ。この年、開幕から先発起用されるようになった松井さんに、周囲の4番への期待は膨らんでいった。そんな中で夏前の名古屋遠征で、長嶋監督が担当記者にこんなことを語ったのである。

「4番を打つには心技体が充実して、ファンの期待に応えられる技量が備わっていなければならない。ただ『巨人の4番』を打つというのはそれだけでもダメなんです。品位、品格、そういう人間性も問われる。松井はもっともっと技術も磨かなければならないし、そういう人間性も成長させていかなければ巨人の4番を打てませんよ」

「4番育成1000日計画」の始まり

 その言葉に「そこまで成長するのにどれくらいかかりますか?」と質問が飛ぶと、長嶋監督がこう語ったのだった。

「3年、3年で何とか松井を4番打者に育て上げる。それが私の使命です」

 それが“4番育成1000日計画”が世に伝わった最初の場面だった。

 松井さんが本当の「巨人の4番」に育つまで、中日から移籍してきた落合博満さんが第60代の4番を、ヤクルトから移籍してきた広沢克己内野手が第61代の4番を任されている。松井さんは95年8月25日の阪神戦で第62代の4番として初めて起用されたが、本人曰く「単に4番を打つだけ。アルバイトみたいなもんですよ」と、まだまだ“4番目のバッター”だった。

「巨人の4番」か「4番目」か

 96年には開幕4番に座ったが、5月には時期尚早としてすぐに落合さんにその座を譲らされた。そしてようやく入団6年目の98年に長嶋さんは松井を「巨人の4番」と認めて、松井さんは4番打者として独り立ちすることになった。“1000日計画”が目標としたゴールから、さらに1年後のことだった。

【次ページ】 「僕も打ったことが…」亀井コーチの考え

BACK 1 2 3 NEXT
#読売ジャイアンツ
#阿部慎之助
#岡本和真
#トレイ・キャベッジ
#吉川尚輝
#松井秀喜
#亀井善行

プロ野球の前後の記事

ページトップ