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「やっぱり縁があったから…」高校駅伝で話題の“集団転校”…転校して“来られた側”の経験者が「都大路で初出場・初優勝」を経て伝えたいこと
text by

和田悟志Satoshi Wada
photograph bySatoshi Wada
posted2025/05/19 06:02
昨年12月の全国高校駅伝で準優勝した福岡・大牟田高のエース、本田桜二郎。4月からは鳥取城北高に転校し、すでに好走を見せている
「女子が2位だったというのももちろんあったと思うんですけど、いろんな目やいろんな意見があって、監督の立場ではたぶん手放しで喜べなかったんじゃないかなと思うんです。
それに、自分たちは『強くなりたい』と思って付いていきましたけど、監督はそれだけの選手を受け入れたからには、ちゃんと結果を残さないといけないというプレッシャーもあったはずです。そう思うと大変だったと思いますね」
当時の森監督の心情を、皆浦さんはこう慮った。
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皆浦さんはもう1人、1年時に指導を受けた北野孝英先生のことも気にかけていた。北野先生は寮監兼コーチとしてチームに残ったものの、男子の監督の職からは離れた。
「北野先生の指導を1年生の時に受けていて、土台ができていたから、2年生以降練習に耐えられたのだと、今はそう思っています」
ちなみに、北野先生は2016年から岐阜・大垣日大高の監督となり、2022年には男子チームを全国に導いている。これもまた、集団転校が生んだサイドストーリーと見ることができるかもしれない。
賛否両論の“集団転校”…それでも「やっぱり縁」
話を本題に戻す。2012年の豊川高の場合、転校組ともともとの生徒との融合は、周囲が想像していたよりも円滑だったといえる。もちろん本人たちの努力があってこそだが、その相乗効果もあって、新生・豊川高は駅伝で日本一に辿りついた。
「実際には、強い人たちが来たからといって、みんながみんな『じゃあ、その人たちを目指して頑張ろう』と思うことができたわけではなかったと思うんです。僕以外のメンバーがどう思っていたのか、その胸の内はなかなかわからない。でも、そういう人たちと一緒に練習ができたのは、やっぱり縁があったからです。
こういう波乱万丈があったから……というわけではないんですけど、都大路の優勝があって大学にも行けたし、名前の知れた会社にも入れた。それは全部、繋がっているんですよね」
これが転校生を受け入れた当事者としての皆浦さんの意見だ。

