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「生意気なクソ小僧だよ」初登板ノーノーで人生一変「増えた親戚、紅白の審査員に…」元中日・近藤真市「なぜ2年目に異変?」“壊された左肩”の全真相 

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森合正範

森合正範Masanori Moriai

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photograph bySankei Shimbun

posted2025/05/15 11:36

「生意気なクソ小僧だよ」初登板ノーノーで人生一変「増えた親戚、紅白の審査員に…」元中日・近藤真市「なぜ2年目に異変?」“壊された左肩”の全真相<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1987年8月9日、プロ初登板でノーヒットノーランを達成した近藤真一(現:真市)。この日を境に、18歳の人生は一変した

 プロ4戦目から4連敗したものの、ナゴヤ球場での巨人戦で4安打完封勝利。そうかと思えば、10月7日、甲子園での阪神戦では3回11失点、102球投げ続けた。勝ち気ですぐに熱くなる性格の近藤は修正が利かなくなった。

「正座してろ!」

 マウンドを降りると、星野仙一の怒鳴り声が飛んできた。

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 ベンチ裏でスパイクを履いたまま、正座をする。スパイクが硬くて足が痛い。試合終了までの約2時間ずっと座っていた。

 1年目の成績は11試合に投げ、4勝5敗。4勝のうち3つが完封だった。

増えた親戚、紅白の審査員に…変わった人生

 人生が変わった。街を歩けば声を掛けられる。「親戚」も増え、周りに自然と人が集まってくる。大晦日の紅白歌合戦のゲスト審査員にも選ばれた。まさに1987年を代表するスポーツ選手だった。

 星野からは何度も正座を命じられ、顔を寄せてきて、怒鳴られたこともある。しかし、殴られたことは一度もなかった。

 1986年ドラフト1位の近藤、87年1位の立浪和義。この二人は、星野から見て、特別な選手だったのかもしれない。

 3歳のときに父を亡くした近藤は、星野のことを「おやじ」と呼んだ。

――星野さんは、近藤さんのことをすごく可愛がっていたと聞きました。
「おそらく生意気な性格だと知っていたし、でも、マウンドでも逃げない姿勢を気に入ってくれていたのかもしれないですね」
――マウンドでは逃げなかったと。
「あのね、星野さんから『おまえは中途半端はないから』って言われたことがあって、ビシッと抑えるか、ボコボコに打たれるか。『おまえの性格だからしょうがねえな』って」
――近藤さんは、ご自身でどういう性格だと思うんですか。
「カーッとなる。熱くなる、熱くなります」
――マウンド上でも?
「はい。だから極端に良いか悪いか。監督もしょうがねえな、って諦めていた」
――だけど、認めてくれていたと。
「僕は、逃げることを一切しないので。性格的なものを認めてくれていたのかもわかりませんね」
――なぜ星野さんに惹かれたのですか。
「ユニホームを着ているとき、言い方は悪いですけど喧嘩なんですよ。戦(いくさ)と一緒ですよね。でも、星野さんって、ユニホームを脱ぐと全然違うじゃないですか、普段から声をかけてくれるし、俺、こういう人になりたいな、と思ったんです」
 近藤の言葉は語尾だけでなく、丁寧になっていった。距離が離れていくようで少し寂しくもあった。

【次ページ】 「結果論で言うなら、使わなきゃいいじゃないですか」

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