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「生意気なクソ小僧だよ」初登板ノーノーで人生一変「増えた親戚、紅白の審査員に…」元中日・近藤真市「なぜ2年目に異変?」“壊された左肩”の全真相
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森合正範Masanori Moriai
photograph bySankei Shimbun
posted2025/05/15 11:36
1987年8月9日、プロ初登板でノーヒットノーランを達成した近藤真一(現:真市)。この日を境に、18歳の人生は一変した
その晩、左肩に激痛が走った。なんとか痛みが治まり、8月2日の大洋戦に登板。1回、2回と投げ、3回から球速が一気に落ちる。140キロ台のストレートが突然130キロ台しか出なくなる。もう駄目だった。これを最後に投げられなくなった。
当時、1年目に投げすぎたとか、フォームが手投げで肩に負担がかかったとか、マスコミからは好きなように書かれた。だが、真相は整体師に左肩を壊されたのだった。
「やっぱりね、僕の中で、おやじは星野さんなんで」
――それが原因なんですか……。
「うん。だけど、それを訴えることはできない、と。つながりがあるので」
主語は言わなかった。だけど、「星野さん」とつながりがあるので……というのは明白だった。
――まさか人災とは。
「その当時の場面をね、見せられないんでね、あれですけど」
そう前置きして、近藤は両手を後ろで組んで、上げていった。
「こうやって、グーッと頭の上に持っていかれるんですから。膝を乗っけられて、ガン! って。そのときに『バキッ』って音がしたんです」
選手の何人かが避けるほど、手荒い治療法だった。
――なぜ近藤さんが?
「僕は体が硬いから。他に受けた選手もいますよ。立浪は逃げました。あいつ、うまいですよ。治療のとき、必ずいなくなる」
話しながら笑みを浮かべていたが、私の表情はこわばったままだった。
すると、近藤が続けた。
「やっぱりね、僕の中で、おやじは星野さんなんで。星野さんに言われたら『はい』しかないわけです。だから、こうなったけど、別に星野さんのことをなんとも思っていませんよ」
私は黙って聞いていた。
「僕のために、良かれと思ってやってくれた。野球人生を振り返って、今56歳になってみて、それがすごくプラスになっている。人生は引退した後のほうが長いじゃないですか。これがあったから、と今は思っています」
近藤は社交辞令や嘘を言う人ではない。
これは本心だと悟った。
――けど、なかなかそう思えないですよね?
「思えないですよね。そのときはね、やっぱ生意気ですよ、小僧が……」
そう言って、私から目をそらし、遠くを見つめた。
<続く>
