Number ExBACK NUMBER
伊沢拓司が勝てなかった「史上最高のクイズプレーヤー」はなぜ突然、表舞台から消えた?…「クイズの帝王」を破った“本当の天才”の青春秘話
text by

別府響Hibiki Beppu
photograph byL)本人提供、R)Keiji Ishikawa
posted2025/05/14 11:00
開成クイズ研究部の先輩・後輩として、切磋琢磨した伊沢拓司と青木寛泰
クイズ体験会で青木を導いた“ある先輩部員”
青木が競技クイズと出会ったのは、開成中学に入学した直後、2008年6月頃のことだった。中学最初の定期テストが終わると、各部活の勧誘会が行われる。そこで、クイズ研究部が早押しの体験会をやっていたのだ。
「もともと祖父がくれた図鑑を読むのが好きだったこともあって、人よりベースの知識が多いという自信はあったんです。それで実際に早押しをやってみたら、結構押せたんですよね」
体験会で競技クイズ特有の楽しさを知ることができたと同時に、そこでもうひとつ印象に残る出来事があった。その時のクイ研にいた、ある先輩部員がこんなことを言っていたのだという。
ADVERTISEMENT
「野球じゃ中学生は絶対、高校生に勝てない。でも、クイズではそういうことが普通に起こりうる。頑張れば、大学生とだって同じ土俵で戦える」
考えてみれば、確かにそうだ。競技にフィジカルの要素がほとんどないクイズの分野では、年齢はそれほど大きな意味を持たない。青木は妙に納得してしまった。そしてその言葉は、結果的に青木のモチベーションに火をつけた。そんな経緯を経て、青木は開成クイズ研究部の門を叩くことになる。
その先輩部員の名は、伊沢拓司といった。
伊沢の確信「これは鍛えれば強くなる」
伊沢にとっての青木は、待望のスーパールーキーだった。
青木の1学年上、当時開成中2年生だった伊沢の頭にあったのは「開成のクイ研を、何とかして強くしたい」という思いだった。
その頃、関東の学生クイズ界の情勢としては、早稲田が覇権を握り、浦和がその対抗馬という状況が続いていた。そんなパワーバランスになんとか風穴を開けたいと考えていた伊沢にとって、望外の有力新人の登場は、大きな喜びだった。
「たしか早押しの前に僕が作ったペーパークイズをやったんです。そしたら現役部員もいる中で、青木がトップだったんですよね」
もちろん競技クイズには早押しの要素もある。単純に知識量=競技の強さとはなり得ない。
「でも、少なくとも『これは鍛えれば強くなるな』とは思いました」
当時の伊沢の立ち位置は、中学生ながらすでに関東の学生競技クイズ界では最強クラスに近い実力があった。学生の枠を飛び越え、大会やサークルでは社会人に混ざって修業を積むなど、その力量はもはや大きく学生レベルを超えていた。

