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伊沢拓司が勝てなかった「史上最高のクイズプレーヤー」はなぜ突然、表舞台から消えた?…「クイズの帝王」を破った“本当の天才”の青春秘話 

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別府響

別府響Hibiki Beppu

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photograph byL)本人提供、R)Keiji Ishikawa

posted2025/05/14 11:00

伊沢拓司が勝てなかった「史上最高のクイズプレーヤー」はなぜ突然、表舞台から消えた?…「クイズの帝王」を破った“本当の天才”の青春秘話<Number Web> photograph by L)本人提供、R)Keiji Ishikawa

開成クイズ研究部の先輩・後輩として、切磋琢磨した伊沢拓司と青木寛泰

開成トップ級の成績…青木の頭脳

 だが、伊沢個人ではなく開成高という枠で見れば、まだまだ強豪校に太刀打ちできるレベルではなかったのも事実だった。だからこそ、自身の期待通りにクイ研に入部し、そこでメキメキと力をつけていく青木の姿を見るのは、ただただ嬉しかった。

「部室にあった僕が買ってきた問題集とかを、青木がひたすら読んで、知識を詰め込んでいる。そういうのを僕がちょっと遠巻きに見ていた感じでした。何かを教えるとかはしてないですね。気づいたら勝手に強くなっていた感じだったので」

 青木は元々、全国屈指の進学校である開成でもトップ級の成績を誇る頭脳の持ち主だった。しかも、天才型にありがちな飽き性とも縁遠く、淡々と知識を吸収することを苦にしないタイプでもあった。それだけに、伊沢を筆頭に先輩部員を経由して様々なクイズの問題に触れることで、どんどんと知識の量と幅を広げていった。

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 開成クイ研の未来は明るいな――当時の伊沢は、そんな青木を見て無邪気にそんなことを思っていたという。

 一方の青木も、中学生ながら「学生最強クラス」の実力者として周囲から一目置かれる存在だった伊沢の背中を、羨望のまなざしをもって追いかけていた。

「伊沢さんがいろんな大会に連れて行ってくれて、しかも勝つんですよ。その姿を見て、シンプルにカッコよかった。それで、『来年はいまの伊沢さんが出した成績を超えたい』と思って、いわゆる“競技”の部分もより頑張るようになった感じです」

青木が伊沢に勝った日「こんなに成長していたのかと」

 そんな牧歌的な先輩・後輩関係が、1年ほど続いた翌2009年の夏。

 伊沢と青木は、関西で開催される「若獅子杯」と呼ばれるクイズ大会に遠征にやってきていた。短文問題が中心となる、中高生が対象の登竜門的な大会だった。

 当時、伊沢は中学3年生にも関わらず、高校生を含めてもトップ級の実力にまで仕上がっていた。実際にこの若獅子杯の1週間後には、高校生以下の学生が対象となる中で最も権威のある「高校生オープン」で優勝も果たしている。

 若獅子杯の予選はペーパーテストで人数を絞り込むことになる。

 だが、そこで意外な結果が出た。青木が同点ながら伊沢に競り勝ち、予選で上位通過を果たしたのだ。伊沢が振り返る。

「当時、中学生とはいえ僕は『高校生以下ではトップクラスのプレイヤーだ』という自負があったんです。その自分が予選とはいえ、青木に負けた。上位5人とかに入っていたので、フロックで出る成績じゃないんです。強いのは知っていたけど……こんなに成長していたのかと」

【次ページ】 先輩・伊沢がはじめて抱いた“青木への恐怖心”

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