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原辰徳の電話「バカ野郎、お前がやるんだ!バッテリーコーチ頼むぞ」巨人OB村田真一が明かす、現役引退を決めた日「開幕2~3日前、阿部でいくと…」
text by

谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byJIJI PRESS
posted2025/05/01 11:04
2001年9月30日、長嶋茂雄監督退任セレモニーで、引退のあいさつをする村田真一(当時37歳)
「ないない。ライバルやで、ライバル。バッティングのパワーはあるなと思ったけど、俺も当たれば飛んでたんや。あの年の4月、ホームラン4本打ったからな。4月はそこそこ試合に出てたし、5月は(レギュラーを)奪ってやると思ってた。でもそこからパッタリ(出番が)減った。チームとして阿部を育てようってなったんやな」
――村田さんから、アドバイスを送ろうとは?
「それはなかったな。でも、聞きに来たら答えるよ。実際、何度か聞きに来たことはあった」
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――それはいつ頃?
「一番最初はいつやったかな、名古屋のホテルやったのは覚えてる。“村田さん、ちょっといいですか”って部屋をノックしてきた。たぶん配球がうまくいかんかったんやろな。スコアラーのくれる紙見ながら、『好き勝手言うぞ!』『俺やったらこうする』って」
――後輩が正捕手の先輩に聞きに行くのは珍しい?
「普通はスコアラーのところに行くやろ、俺もそうやった。山倉(和博)さんとこには行ってへん。でも慎之助とは、その後もちょこちょこ話す機会があったな」
原さんの電話「バカ野郎、お前がコーチやるんだ!」
――村田さんはこのシーズンで現役を引退しました。そこには、阿部さんに託す思いがあったのでしょうか。
「それは違うな。慎之助、あの年は打率.230ぐらい(※)やったろ?(※シーズン打率.225) 全然一人前じゃない。でもな、俺がおっても……ってなったんや。そろそろ引くタイミングやなって」
――シーズン中にはもう決断していたと。
「そう。広島市民球場やったな、8月半ばぐらいやったと思う。原さんがホテルの部屋に来て“来年どうすんだ”って聞いてきたんよ。俺の中ではもう決めてた。『辞めます。あと残りは好きにやります』って伝えた。9月にはフロントの倉田(誠)さんにも話して。でもそこで初めて“来年は選手兼任コーチで考えてる”って言われたんや」
――翌年バッテリーコーチに。兼任という選択肢もあった中で迷いは?


