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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「(阿部監督にとって)戸郷が“一番の誤算”やろな…」巨人OB村田真一が語る、戸郷翔征の10失点炎上「普通は交代。あれは“戸郷と心中”や」
posted2025/05/01 11:05

戸郷翔征と話し込む巨人・阿部慎之助監督。写真は開幕前の3月25日
text by

谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph by
Sankei Shimbun
2002年、原辰徳監督が誕生し、巨人軍は新たな時代へと舵を切った。前年に現役を引退した村田真一氏(61歳)はバッテリーコーチに就任。プロ2年目の阿部慎之助と本格的に向き合う日々が始まった。村田氏に聞く、阿部監督の素顔。【NumberWebインタビュー全2回の2回目/第1回も公開中】
◆◆◆
「慎之助と全140試合、反省会をやった」
――コーチになってから、阿部さんとの関係はどう変わっていきましたか?
「1年目は相当きつく当たったと思うよ。ずっと嫌味を言ってた。『あのワンバウンドは捕ってくれないと困る』とか。慎之助も“この人、全部チェックしてるな”って思ってたやろな」
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――そういう話はいつ伝えていたんですか?
「試合後、必ず反省会をやった。140試合、全部。1分でもいいから、全試合やろうとキャンプ中に約束した。優勝経験のないキャッチャーに1年間任せるわけやから。お前の意見を聞かせろ、俺も好き勝手言うからな、と」
――反省会はどこで?
「東京ドームのサロン。コソコソするの嫌いやから、部屋のど真ん中でやった。みんなから見える場所で。遠征中は俺の部屋に呼んで、『あの場面は絶対変化球やろ』とか。とにかく、俺はこう思うってことを言い続けた。うるさいと思われてもええから、考えるきっかけになってほしかった」
――“考えるキャッチャー”になれと。
「そう。それは俺もずっと藤田(元司)さんに言われてきたことやった。ピッチャーのせいにするな、悪いピッチャーをなんとかするのがキャッチャーの仕事やろって。野村(克也)さんがID野球とよく言うてたけど、藤田さんは“シンキングベースボール”って呼んでた。慎之助にも口酸っぱく言ったよ」
「それを慎之助は許せなかったんや」
――褒める日はなかったんですか?