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原辰徳の電話「バカ野郎、お前がやるんだ!バッテリーコーチ頼むぞ」巨人OB村田真一が明かす、現役引退を決めた日「開幕2~3日前、阿部でいくと…」

posted2025/05/01 11:04

 
原辰徳の電話「バカ野郎、お前がやるんだ!バッテリーコーチ頼むぞ」巨人OB村田真一が明かす、現役引退を決めた日「開幕2~3日前、阿部でいくと…」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2001年9月30日、長嶋茂雄監督退任セレモニーで、引退のあいさつをする村田真一(当時37歳)

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谷川良介

谷川良介Ryosuke Tanikawa

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槙原寛己の完全試合、1996年の「メイクドラマ」……巨人軍の黄金期を正捕手として支えてきた村田真一氏(61歳)。奇しくも村田氏が現役最後のシーズンとなった2001年は、阿部慎之助のルーキーイヤーだった。ジャイアンツへの世代交代を象徴する1年、村田氏に聞いた。【NumberWebインタビュー全2回の1回目/第2回も公開中】

「すまんな、開幕戦は阿部でいく…」

――当時、村田さんは37歳。阿部慎之助が逆指名で入団すると聞いたとき、どんなお気持ちでしたか。

「プロの世界じゃ当たり前のこと。巨人は毎年優勝せなあかん球団やろ? 打率2割5分でホームラン10本くらいのキャッチャーやったら、毎年新しいええのが来る。慎之助だけやない、昔からようけおったで。1つ下の高田(誠)は六大学ナンバーワン捕手、社会人上がりの(吉原)孝介も肩はすげえなと思ったし、デーブ(大久保)が移籍してきたときは守備じゃ絶対負けられへんと思った。俺はみんなにしぶとく勝ってきたわけよ。そやから慎之助が入ってきたときも、歳やったけど、どれくらいやるんかなぐらいの気持ちやった」

――阿部さんのプレーを初めて見たのはキャンプですか?

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「覚えてる。“ええの持ってるな”って思ったよ。バッティングの力はすごかったな。素質的には敵わへん。でも俺も負けへんぞって。だって前年に日本一になったんは俺やもん。ただ、勝負の世界はシビアやから……開幕の数日前に原(辰徳)さんに呼ばれて告げられた」

――原さんは当時ヘッドコーチでしたね。

「そう、2~3日前やったかな。“すまんな。監督(長嶋茂雄)が開幕戦は阿部でいくって言ってる”って。『え、ほんまですか』って言ったもん。こっちは出るつもりで準備しとったから。でも、あらかじめ言ってくれたってことは、功労者として気遣ってくれたんやろな。帰りの車で俺もそういう選手になったんやな、頑張ってきたなって思ったよ」

阿部がホテルの部屋に…「ちょっといいですか?」

――納得できなかった?

「そら、できへんよ。原さんになんでやって詰め寄った。でも“村田、納得してくれ。チームのためだ”って言われたら、もうしゃあない。決まってることやから。でもチャンスは絶対来ると思ってた」

――当時、阿部さんの教育係だったという話もありますが。

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