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「プロでお金を稼ぎたい」松坂大輔18歳…なぜ西武ドラ1→即入団とならなかったか「相思相愛はベイスターズ」「五輪でキューバと戦っても」
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広尾晃Kou Hiroo
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/27 17:01
プロ志望届を出した横浜高校・松坂大輔。この時点での意中の球団はベイスターズだった
11月10日、横浜市内のホテルで、ベイスターズのスカウトは松坂大輔と渡辺元智監督に挨拶。松坂は「あとは20日のドラフト会議を待つだけです」と語った。
この年のドラフトは投手が優勢だった。横浜高の松坂、沖縄水産高の新垣渚、高知商の藤川球児、大阪体育大の上原浩治。野手では帝京大の里崎智也、近畿大の二岡知宏、そして日本生命の福留孝介がドラ1候補だとされた。松坂を指名すると公言していた4球団のうち、ヤクルトはドラフト直前に指名を断念した。
ドラフト前日、横浜高校で報道陣の前に姿を現した松坂は「運は強い方ですからね」と笑顔を見せつつも、こう語っている。
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「社会人に進んでも、五輪に出て、キューバという強いチームと戦ってみたいという気持ちもある。(プロに行けなくても)回り道にはならない」
西武が交渉権…松坂が落胆したワケ
そして1998年11月20日、運命の新人選択会議。事前の報道通り、西武、横浜、日本ハムが松坂大輔を1巡目で指名した。一般紙も含め、新聞各紙は一面でドラフトの結果を伝えた。
松坂はこの日、午前中は学校のコンピューターの授業を受けて、横浜高の黒土創校長、渡辺元智監督と共に、体育館に設けられた記者会見場で、ドラフト指名の結果を待ち受けた。
結果は、西武の東尾修監督が交渉権を引き当てた。
この結果に、松坂は落胆の表情を浮かべた——。〈つづく〉

