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「挑発してきたGKに…ザマアミロ」“昔はヤンチャな苦労人”名FWマルキーニョスが語る日本愛「クボとミトマにホレ込んでる」「今すぐ日本で…」
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沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTakuya Sugiyama
posted2025/04/18 17:02

横浜F・マリノス時代のマルキーニョス。2003年、2012、13年と計3シーズンプレーした
「そうなんだ。目の色を変えて練習したよ。そして、Aチームに故障者が続出したとき、僕を遠征メンバーに入れてくれた。1点リードされた状況で後半からピッチに送り出された。そして僕のスルーパスからPKを呼び込んで、1-1で引き分けた。このプレーが評価されて、年末に完全移籍を果たしたんだ」
――ブラジルでのあなたの通称は「マルキーニョス・カンバリョッタ」(宙返りのマルキーニョス)。この呼び名は、コリチーバ時代に生まれたとか。
「その通り。2001年のアトレチコ・パラナエンセ戦で、相手GKから『お前は弱小チーム相手にしか点が取れない』と挑発されて『絶対に点を取ってやる』と闘志が湧き上がってゴールを決めた。その直後、GKの目の前でバック転をしたんだ」
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――ただ、それを見たアトレチコの選手たちが激怒し、両チームの選手が入り乱れての大乱闘。あなたは退場処分を受けた。
「僕は何も間違ったことはしていない。バック転はゴール・パフォーマンスの一種で、他の選手もやっているからね。でも、この出来事があってから『マルキーニョス・カンバリョッタ』と呼ばれるようになった。この呼び名は気に入っている。日本でも、できればそう呼んでもらいたかったな(笑)」
――GKから挑発を受けたとき、「ゴールを決めてバック転をしてやろう」と心に決めたのですか?
「いや、そうじゃない。ザマアミロ、と思ったら、反射的にやっていた。子供の頃から、遊びでやっていたんだ。身軽だったからね」
最も評価していたのはシュンスケだ
――そうなんですか(笑)。話をJリーグ時代や日本への印象に戻しましょう。日本で一緒にプレーしたり対戦した選手の中で、最も評価するのは?
「一番はシュンスケ(中村俊輔)。彼とは横浜F・マリノスで一緒にプレーする機会はなく、2010年に欧州から帰ってきてマリノスへ復帰してから対戦したわけだけど、あの左足から繰り出される芸術的なパスとFKは本当に凄かった。左足の魔術師だね。優れたテクニックと状況判断で鹿島を牽引したオガサワラ(小笠原満男)、ガンバ大阪を躍進させたエンドウ(遠藤保仁)、川崎フロンターレを引っ張ったナカムラ(中村憲剛)も素晴らしい選手だった」
――日本で苦しめられたDFと評価しているストライカーは?
「長年、横浜F・マリノスの守備を支えたナカザワ(中澤佑二)とマツダ(松田直樹)は、いずれも頑強で狡猾ながら、マークした選手を壊すようプレーは絶対にやらないCBだった。鹿島と言えばアキタ(秋田豊)の闘志と空中戦の強さにも目を見張った。
FWだと、鹿島でコンビを組んだコオロキ(興梠慎三)はスペースへ走り込むのがうまく、何としてでもゴールを決める男だった。オオクボ(大久保嘉人)は小柄だが、優れた得点感覚を備えていた。ナカヤマ(中山雅史)は、骨折してもプレーをやめない。闘争心に溢れたサムライだった」
クボとミトマにホレ込んでいるよ
――ブラジルへ戻って以降も、日本代表の試合を見ていますか?