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“スポーツと性”の大問題「新体操教室でレオタードを出された瞬間に…」トランスジェンダーの水球元日本代表・成宮涼が苦しんだ幼少期
posted2022/02/07 11:00
text by
平田裕介Yusuke Hirata
photograph by
(左)本人提供、(右)Takuya Sugiyama
水球元日本代表というアスリートからホストへ転身した彼だが、“女性としての性を割り当てられて生まれたが男性として生きることを希望する”FTMでもある。
そんな成宮氏に、幼い頃から感じてきた性の違和感、中学で体験したいじめ、水球との出会いなどについて、話を聞いた。全3回の1回目/#2、#3へ)。
◆◆◆
女性の先生が大好きだった「これは言っちゃいけないな」
ーー早い段階から、ジェンダーに関する違和感みたいなものを抱かれていたのですか?
成宮 幼稚園の頃には。女子、男子で分けて集合させられたりするじゃないですか。そこで女子側に行かされて、「自分は女子という生きものなのか」と思ったんです。すると今度は、周りの女子たちは好きな男子の話をするようになって「好きな男子とは?」と考え込んじゃって。自分は幼稚園の女の先生が大好きだったので、「これは言っちゃいけないな。変だと思われるな」と警戒したのが、違和感を抱くようになったきっかけですね。
ーー幼心に、女子に属しているのに女性を好きと言っちゃうのはマズいと。
成宮 潜在意識のなかで“言わない方がいいな”と。家では、そういうのはあまりなかったんですよ。ただ、姉の友達から「かわいい」とか言われたり、ちゃん付けで呼ばれても「ふーん」みたいな。なんだか、嬉しくは無かったですね。
洋服とかは姉のお下がりが来るんだけど、片っ端から「嫌だ」と言って受け付けませんでしたね。僕は記憶がないんですけど、2、3歳の頃にワンピースを着させられたら体育座りしたまま動かなくなっちゃったそうです。「どうしたの?」と親が聞いたら、「これが嫌だ」って(笑)。幼稚園に行く前から、違和感はあったんでしょうね。
七五三で「なんで自分はこんな化粧してるんだろ」
ーーお姉さんのお下がりを嫌がっても、ご両親は気にされなかった。
成宮 7歳上の姉も活発なタイプで、そんなにスカートが好きじゃなかったんですよ。あと、母親も昔はスポーツ少女でめちゃめちゃボーイッシュな感じだったので、「私と一緒か」と思ってたらしくて。
ーー七五三では、大変な思いをしたのでは。
成宮 七五三の写真、すっごく微妙な顔してますよ(笑)。2歳年下の従兄弟と七五三をやったんですけど、彼が着ている袴が羨ましくてしょうがなかったのを覚えてます。なんで自分はこんなの着て、こんな髪にして、こんな髪飾りを乗っけて、こんな化粧してるんだろって。
ーー小学生になっても1年、2年あたりの低学年は、女子も男子も一緒に遊べますけど、だんだんとそうならなくなっていきますよね。
成宮 ドッジボールが大好きで、男の子ばかりと遊んでたんですよ。それが、ものすごく仲良かった子たちから急に疎遠にされちゃって。「えっ、なんで?」と思って聞いたら「だって、お前女子じゃん」って。「うっわ、そこか」というか。そこから女子の輪に加わるのが、キツかったですね。
僕は幼稚園からショートカットで、他のクラスの子たちからは男子だと思われてたぐらい男の子だったので。なおさら、加わりにくかったんですよね。頑張って輪に入っても、遊びがまったく合わないんですよ。女の子って、昼休みに教室に籠もってリリアンとか編むじゃないですか。「全然、おもろないわ」「外、行きたいわ」と、ずーっと思ってましたね(笑)。校庭に出たがっている女の子がいたら、一緒に出ていって遊んでました。だから、女子の中でも活発な子たちと仲良くしてましたね。