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「翔哉、日本代表でプレーしたくないか?」27歳で引退…“早熟の天才”菊原志郎が“天才少年たち”に贈った言葉「昔は僕も翔哉と同じでした」 

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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photograph byHideki Sugiyama

posted2025/03/17 06:02

「翔哉、日本代表でプレーしたくないか?」27歳で引退…“早熟の天才”菊原志郎が“天才少年たち”に贈った言葉「昔は僕も翔哉と同じでした」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

1996年限りで現役引退した後は、育成の指導者としてキャリアを積み上げてきた菊原志郎(55歳)

 2009年に東京ヴェルディを離れ、JFA(日本サッカー協会)入りしたときも黒子役だった。2011年、U-17ワールドカップでベスト8に進出した年代別日本代表では、吉武博文監督のもとでコーチを務め、個人の成長を促した。体格と身体能力に優れた荒削りな2人には、付きっきりで指導をしていたという。

「吉武さんから『あと1年で植田直通(現鹿島アントラーズ)と鈴木武蔵(現横浜FC)を世界大会で使えるようにしてほしい』と言われたんです。2人には1カ月に1度、技術練習の宿題を出してね。もともとFWの植田はセンターバックも初めてで、基本的なポジショニングから教えましたから。あれは僕にとっても良い経験でした。彼らを指導したことで、考え方が変わったんです。以前は中2までにある程度の基本技術を習得していないと、高いレベルでプレーしていくのは難しいと思っていたのですが、16歳からでも間に合うんだって」

かつて自分の姿を重ねた中島翔哉

 菊原の役割は、技術を教え込むばかりではない。組織の枠からはみ出そうな個性の強い天才肌も丁寧にサポートしてきた。東京ヴェルディのアカデミーでくすぶっていた中学3年生の中島翔哉(現浦和レッズ)には、かつての自分の姿と重なる部分があった。

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「僕自身、自分の良さを出すことに頭がいっぱいになり、Jリーグ発足後は苦しみましたから。いま振り返れば、苦手なことにも取り組んでいれば、もっと長くプレーできていたかもしれません。翔哉も自分のやりたいことに没頭している感じでした。守備は全くしていなかった。『きょう、良いプレーを見せたい』『サッカーを楽しみたい』って、僕も昔は翔哉みたいなことを言っていました。攻撃ばかりで他のことに意識が向いていなかったんでしょうね」
 
 現代サッカーではレベルが上がれば上がるほど、組織の中での役割やハードワークも要求される。個性は組織の中で生かさないといけない。天才肌のドリブラーが、そのまま埋もれてしまうのは見ていられなかった。

「クラブ関係者に聞けば、『守備ができないので試合ではなかなか使えない』と。僕は『ヴェルディだからこそ翔哉のようなタレントをしっかり育てないといけないだろ』と言ったんですよ。そしてよみうりランドに足を運んだときに翔哉とは直接話して、『代表でプレーしてみたいと思わないか』と聞き、興味をもっていたので、必要なことを伝えました。目標にたどりつくためにはどうすればいいのか。守備にも力を割き、仲間とも協力し、仲間の良さを引き出すことも大切だよと。その話を聞いてもらうために僕なりにお手本を見せたりもしました。やっぱり、選手は指導する人がどんな選手だったのかを見ますから。『いいからやれよ』では反発してしまうので。“北風と太陽”ですよね」

【次ページ】 「志郎さんはサッカーを教えてくれた人」

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