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「巨人以外の球団なら行かない。“お坊さん”になる」18歳の異例発言に広島スカウトが激怒…江川卓・桑田真澄と同僚だった選手は今、“寺の住職”になっていた
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岡野誠Makoto Okano
photograph byKazuhito Yamada
posted2025/02/16 11:03
江川卓や桑田真澄と同僚だった元巨人選手は現在、寺の住職になっていた
「長嶋さんは本当にイメージ通りの方でしたね。『ボールがピュッとくるだろ? それをパーンと打つんだよ』と言われました。『マシンをピッチャーと思いなさい』『左足のステップとスイングを同時くらいのイメージで打ちなさい』というアドバイスも頂きました」
3000本安打の張本は「投手に対してステップを真っ直ぐ、優しく出しなさい」、巨人初のシーズン30本塁打を放った青田は「構える時にバットを寝かせなさい」と指導した。
“1年後輩”桑田真澄が巨人入団
FAも逆指名ドラフトもない80年代、若手を育成しなければ、チームの未来は見えなかった。常勝を義務付けられる巨人の正力亨オーナーは『諮問委員制度』を設け、OBの指導を積極的に促した。だが、多様な意見がかえって選手の混乱を招くケースもあった。
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「守備では、あるOBの方に『低い姿勢のままボールに入れ』と指導されました。身体が辛いし、追い付くのも遅くなる。2年目のキャンプだったか、広岡達朗さんに守備を見てもらうと、『低い体勢で速く走れるわけないだろ。捕る瞬間だけ沈めばいい』と教えてくださった。合理的で、すごく楽になりました」
それでもOBが来れば、言われるままにボールを追った。打撃練習も同じだった。自分にしっくり来ないと思う形でも、指示されたフォームで打っていた。藤岡は「何のために練習をしているのか」と自問自答を繰り返すようになる。
悩める未完の大器を尻目に、自己流を貫く後輩もいた。85年秋のドラフト会議で、巨人に1位指名された桑田真澄である。毎日の投げ込みが必須とされた春季キャンプ中、コーチに「僕は今日投げません」と宣言。同じ寮住まいの藤岡は、私生活でも桑田のマイペースぶりを実感していた。
「いつもマスコミに追われて大変そうでしたよ。でも、普通の18歳ですからね。『どこで洋服買うんですか』とか聞かれたし、女の子の話もよくしました。ただ、一緒に行った焼肉屋で会計をする時、思わず絶句したことはありましたけどね……」
食事を終えると、桑田が「僕払いますよ」とポケットに手を遣った。先輩の藤岡が「いや、いいよ」と制すると、驚きの光景が目に入った。
〈つづく〉

