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湯が出ないシャワー、着替えは屋外「これはプロといえるのか」稲本潤一、引退前の6年間…「今後の指導者人生のために凄く良かった」
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佐藤俊Shun Sato
photograph byAsami Enomoto
posted2025/02/14 11:03
川崎フロンターレの育成コーチに就任した稲本。引退後初めてにして唯一のインタビューに応じてくれた
指導者を選んだ理由
稲本はそうした経験を得て、引退後、指導者の道を歩むことを決めた。これだけの実績があり、明るいキャラクター。解説者やタレントなどでの活躍も十分可能だったろうが、あえて指導者の道を選んだのはなぜだったのか。
「指導者は、札幌時代にB級のライセンスを取っていた時に考えるようになりました。現場にいて、試合に勝つか負けるかが決まる瞬間に湧きあがる感情はすごく刺激的で、楽しかった。それはJリーグも関東リーグも一緒だったので、そういう現場に常にいたいということで指導者になりたいと思ったんです。いろんな難しさがあるけど、解説とか、サッカー教室をやるよりは、指導者の道の方が自分には合っていると思っています」
育成コーチ、そしてトップを目指して
そして昨年12月、稲本は川崎フロンターレの育成部コーチに就任した。
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「育成なので、選手がどう成長していくのか、というところにフォーカスしていくことになります。その子が求めるものを、より高い次元に持っていけるような指導者になれたらいいかなと。大事なのは、その子がなりたいものになれる手助けをすることだと思うし、そのなかで日本だけじゃなく世界に通用するプレイヤーに育っていってくれるといいかなと思います」
育成コーチをスタートとして、今後は経験を積みトップの監督を目指していくことになる。“稲本監督”が誕生した時、ファンは輝かしい選手時代の稲本をイメージし、監督・稲本にも同じ輝きを求めていくだろう。稲本という名前に注がれる視線は、他の監督よりも厳しいものになるかもしれない。だが、長きにわたるキャリアで真摯にサッカーと向き合い続けてきた稲本なら、そんな宿命も受け止めて、再び何かをやってくれるはずだ。
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