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湯が出ないシャワー、着替えは屋外「これはプロといえるのか」稲本潤一、引退前の6年間…「今後の指導者人生のために凄く良かった」
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佐藤俊Shun Sato
photograph byAsami Enomoto
posted2025/02/14 11:03
川崎フロンターレの育成コーチに就任した稲本。引退後初めてにして唯一のインタビューに応じてくれた
私生活での転機
2010年、レンヌから川崎に移籍して国内復帰した稲本は、キャリアの中盤とともに人生の大きな転機も迎えた。友人の紹介で知り合った田中美保さんと、2012年12月に自身のSNSで結婚を報告したのだ。
「結婚する前には一緒に住んでいたんですけど、何の違和感もなく、普通に生活出来ていましたし、彼女の将来を考えて責任を果たすことも大事だなと思って、結婚に至ったという感じです。サッカーの相談もしていました。川崎が契約満了になって『次、札幌に行くけど』、という話をしたら『いいよ』と二つ返事でついてきてくれた。仕事があるのに、それを犠牲にしてきてくれたので、うれしかったですね」
夫人のサポートのありがたさ
2019年に第一子が生まれたが、稲本は当時所属していた相模原の練習場まで都内の自宅から通っていた。そのために長時間家を空けることが多く、シーズンに入ると土日は試合や遠征でいない。美保さんの負担は増えていった。
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「子どもが出来てからの方がサポートが大変だったと思いますし、今もですが、ほんまにようやってくれていると思います。子どもが生まれてからは、父親がサッカー選手というのを認識してもらえるまではやりたいと思っていました。ただのおじさんじゃないというのは、YouTubeとか見れば分かると思うんですけど、試合にも呼んでました。やっぱり生で試合を見てもらうのは違うし、そういう記憶が残っていてくれたらいいなぁと思ったので」
稲本ジュニアの未来は?
二人の子どもに恵まれ、現在では5歳と3歳になった。上の子はサッカーが好きだという。
「今のところサッカーが楽しいみたいだけど、走るのも好きみたいなんで、自分の好きなことをやってほしいなと思います。ただ、サッカーをやるとなれば、年齢を重ねていくと周囲からいろいろ言われることもあると思う。それは稲本家に生まれた以上、背負っていかないといけないもの。稲本という名前がサッカーを続けていく上で、足枷になる可能性もあるけど、それはしょうがないんでね」
引退の決断は、昨年夏ごろ美保さんに伝えた。

