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中距離では「ケニア人にひっくり返っても勝てない」…瀬古利彦を育てた“奇才”中村清の教え 早大40年前の“箱根駅伝連覇”「前夜の記憶」 

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清水岳志

清水岳志Takeshi Shimizu

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posted2025/01/27 11:01

中距離では「ケニア人にひっくり返っても勝てない」…瀬古利彦を育てた“奇才”中村清の教え 早大40年前の“箱根駅伝連覇”「前夜の記憶」<Number Web> photograph by AFLO

4年時に箱根駅伝を走る瀬古利彦。後ろのジープには中村清監督。在学時に優勝はならなかったものの、後の早大「連覇」につながる礎を築いた

「お前な、宗兄弟に勝つにはどれくらい、練習しなきゃいけないかわかるか、って」

 食事をした後、ソファに座らされて訓話が始まった。寮の門限22時に戻るまで2時間ほどだろうか、面白い話ばかりで、あっという間の時間だった。

 中村の趣味のひとつが狩猟で、自宅にはライフル銃が何丁も保管してあった。銃の輸入販売を生業にした話もあった。また、宗教の話が興味深かった。イエス・キリストが好きで中村の聖書は書き込みで分厚くなっていた。 

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 聖書からはこんな引用を聞かされた。

「広き門と狭き門があって、よく見える広き門は滅びの門だと書いてある。早稲田は狭き門で難しい方をおまえは選んだ。最初は厳しいが、それが幸せの門なんだ」

「2人は1人に勝る。苦しければどちらかが助け起こすって書いてある。お前と2人で戦っているんだ、って」

 瀬古は月に2回ほど、渋谷の教会に行くようになった。

模索しながら作り上げられた練習メニュー

 中村清にマラソンの経験はない。宗兄弟はじめ、当時の長距離ランナーの練習を参考に、瀬古にあったメニューを日々、模索し2人で作り上げていった。

「中村監督もやったことがないから一緒に考えて、僕がやってみて間違いないとなって、それが早稲田の練習にもなっていった。2人とも命懸けだった。どこか軍隊のように戦略的で、命のやりとりみたいな感じで(笑)」

 1年生で入った時は、長距離部員が15、16人。箱根のメンバー登録を何とかできる人数だった。中村が正式に監督になるのがその年の11月。すぐに練習は始まらない。寮の掃除とグラウンドの草むしりからだった。

「寮の玄関が汚ければ中村清が許さない。グラウンドは柔道で言ったら畳。カビだらけで腐っていたら性根も腐る。タバコの吸い殻は落ちているし、確かにひどいもんでした」

 まだ入学前の瀬古に対する、ある種の“特別扱い”で部に中村を敬遠する雰囲気はなかったのだろうか。

「瀬古は一浪で苦労しているし、先輩方も『特別だ』と受け入れてくれていたように思います。中村先生のカリスマ性だと思いますが、信奉者も増えていったと思います」

【次ページ】 瀬古の在学中は箱根の総合優勝に届かず

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