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オリンピックPRESSBACK NUMBER
「心が折れてしまったんです」…《ベルリンで日本歴代7位》女子マラソン“日本の次世代エース”細田あいが語る「もう無理だ」と思った意外な瞬間
posted2025/01/26 11:01
text by
泉秀一Hidekazu Izumi
photograph by
Miki Fukano
約70分間の取材の中で、細田が涙を流した瞬間がある。それは、怪我で欠場して五輪代表の可能性が閉ざされた2024年の名古屋ウィメンズマラソンでも、補欠だったパリ五輪の話題でもない。
かつて、細田が本気で陸上を辞めようとした心境について、会話をしていた時のことだ。
「いきなり泣いてすいません。私、よく感情が溢れてしまうんです」
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その涙は、アスリートとして戦い続けることの、尋常ならざる困難さを示しているように思えた。
小学生で「2人の金メダリスト」に憧れて
長野県は茅野市で育った細田が陸上と出会ったのは小学生の時だった。自宅から小学校まで遠く、坂道のある5キロの通学路を時には走って通ったという。
「当時から足は速くて、体力もありました。学校についてからも、ずっと走り回って遊んでいました」
五輪に憧れ始めたのは、2人の金メダリストの存在だった。
8歳の時、アテネ五輪の女子マラソンで野口みずきが金メダルを獲得した。その4年前、高橋尚子がシドニー五輪で金メダルをかじっていた姿も記憶にあるという。
自他ともに「足が速い」と認める少女が、連続して日本人金メダリストを目の当たりにした時、「自分も」と思考がつながるのは必然だろう。
「『オリンピックに出てみたい』と憧れ始めたのが小学校6年生くらいです。誰に促されるわけでもなく、自然に思うようになりました」
本格的に長距離を始めたのは、中学から。入部当初から頭角を現し、2年、3年ともに1500mで全中(全国中学校体育大会)に出場している。
しかし、進学した名門・長野東高校での3年間は怪我に泣かされた。3年時には都大路(全国高校駅伝)に出場したが、納得のいく3年間ではなかった。
「小学校の時って、無邪気に目標を掲げますよね。でも、現実が見えるにつれて『どうして私はあのレベルで、五輪に出たいって言えたんだろう』って思えてくる。怪我ばかりしていた高校の頃の私にとって、五輪は夢のまた夢。あまりに現実とかけ離れすぎて、イメージできませんでした」