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ぶら野球BACK NUMBER
落合博満44歳「あのときオレの“戦う気持ち”が絶えた…」天才・落合に現役引退を決断させたのは誰か?「完全燃焼なんてウソ」信子夫人は日本ハムの起用法を疑問視
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2025/01/21 11:05
1998年10月7日、44歳落合博満の「現役最後の打席」。一塁ゴロに倒れたが、その顔には微かな笑みが浮かぶ
すでに球団と話し合い、シーズン終了後にFA宣言ではなく、自由契約を申し出ることを決めていた。5回表一死、六番西浦の代打で登場すると手袋をつけず、全盛期と同じように素手でバットを握るオレ流。神主打法と呼ばれたその構えで打席に立ち、黒木知宏が投じた3球目、外角低めの141キロの直球を打って一塁ゴロに倒れる。雨の中、通算9257打席目を終え、ベンチに戻る際、微かに笑みを浮かべる背番号3。代打出場から始まった無名のオールドルーキーの野球人生は、同じく代打でピリオドを打った。
通算2371安打、510本塁打、1564打点の大打者としては異例のセレモニーも涙もない静かなラストゲーム。戦う気持ちが薄れ、怒りの炎が消え、落合博満は45歳を目前に静かにバットを置いたのである。
ラストゲーム直後の“意外な行動”
試合後、落合は意外な行動に出る。「お疲れさん」といつもと同じようにロッカールームをあとにすると、球場出口で出待ちしていたファンが待つ柵前まで歩み寄ったのだ。「ありがとう落合」という横断幕を掲げる男性もいる中、彼らと握手を交わして回り、20年間に渡る職業野球人生は終わりを告げた。
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59試合、打率.235、2本塁打、18打点、OPS.653。これが1998年の落合の打撃成績だ。当然、チーム最高給の年俸3億円に見合わないと批判もあった。それでもなお、10月14日の記者会見では、「まあ引退、みたいなものです」と口にしてみせた。任意引退ではなく、球団に拘束されない自由契約での退団を選び、最後までオレ流を貫いたのだ。
「自由契約だから望まれればプレーする可能性はゼロではない。だから今回の私は『引退』ではなく、『引退のようなもの』だ。屁理屈に聞こえるかもしれないが、これが、何にも束縛されることなく自由に野球界を泳いできた私が、45歳を迎えて人生の新たなるステージに向かうための決断なのである」(PRESIDENT1998年12月号)
信子夫人の“予言”
そして、落合が何者でもなかった時代から二人三脚で共闘した信子夫人も、「私がいろいろ尻を叩かなかったら、ロッテで終わりだったわよ」と選手生活を振り返っている。「落合本人だって、“こんな辞め方するとは思っていなかった”と言ってるもの。完全燃焼したなんて嘘。できてないもの、この1年間……」と日本ハムでの起用法に疑問を呈しながらも、その未来の姿をこう描くのだ。