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戦力外ピッチャーが落合批判「選手は文句タラタラ。コーチも落合さんに不満ためてる」天才・落合博満44歳vs日本ハム若手「こうして落合は現役引退を決めた」
posted2025/01/21 11:04
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が3刷重版と売れ行き好調だ。
1996年オフ、43歳になる落合博満は巨人を電撃退団する。「巨人軍vs.落合博満」その後の物語。あまり語られていない日本ハム時代、最後の1年……なぜ落合は44歳で現役引退したのか?【全2回の前編/後編も公開中】
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落合批判「コーチも不満をためている」
「あいつは反骨心でのし上がってきた人間なんだ。他人を押しのけて、自分の考えを通してな。それにしても、ずいぶん平和な顔になったな」(週刊ベースボール1997年12月15日号)
元ロッテ監督の稲尾和久は、1997年の春季キャンプで落合博満の姿を見るなりそんな言葉を漏らした。巨人を自由契約となり、日本ハムへ移籍した43歳は、メディアでも「リストラに負けない中年の星」といった論調で好意的に報じられた。いわば数年前に原辰徳から四番を奪ったオレ流が、今度は愛弟子の清原和博にその座を追われたわけだ。巨人時代はOBたちの批判の嵐を己の力に変えてきた反骨の男が、いきなりヒーロー扱いされたのである。
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だが、新天地でのプロ19年目のシーズン。落合は「四番一塁」で開幕するも、113試合、打率.262、3本塁打、43打点という屈辱的な成績で終えた。年俸3億円の優勝請負人どころか、チームのBクラス転落の原因と叩かれ、オフに日本ハムから戦力外通告を受けた元・主力投手は、去り際に強烈な落合批判をぶちまけた。
「教えるのはいいことなんだけども、ああいう偉大な人ゆえに、落合さんに監督、コーチが何も言えなくなってしまった。そのことに選手の間では文句タラタラだったんじゃないですかね。監督やコーチが落合さんに何か言えれば、落合さん自身も対処の仕方もあったんでしょうけど。結局、それでチームが一体化されないというか。その結果、バッティングコーチ(加藤秀司氏)が辞めたりすると、残ったコーチも不満をためていると、チームの皆が思うんじゃないの」(サンデー毎日1997年10月26日号)
23歳若手「落合さんにはつぶれてほしい」
春季キャンプで同僚選手を指導する姿は“落合道場”と呼ばれ、実際に若手のホープ上田佳範は前年の打率.201から、97年は自身初の規定打席に到達して打率.300と急激に成績を上げた。それでも、落合本人の数字とチーム順位が伴わなければ、批判の対象となってしまう。