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ぶら野球BACK NUMBER
落合博満44歳「あのときオレの“戦う気持ち”が絶えた…」天才・落合に現役引退を決断させたのは誰か?「完全燃焼なんてウソ」信子夫人は日本ハムの起用法を疑問視
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2025/01/21 11:05
1998年10月7日、44歳落合博満の「現役最後の打席」。一塁ゴロに倒れたが、その顔には微かな笑みが浮かぶ
故障からスタメン復帰後10試合で、34打数13安打の打率.382、8打点の固め打ち。“ビッグバン打線”で、恐怖の六番として存在感を見せる。しかし、6月には先発投手との相性でスタメン落ちしたかと思えば、いきなり五番で使われるなど日替り起用が増えていく。オールスターファン投票の中間発表では一時、一塁手部門の1位に立つが、打率は2割5分台に低迷。一塁守備時にファウルフライの目測を誤る、以前ならば考えられないミスも心を削る。そして7月以降は、首位を独走する日本ハムのスタメンからその名が消えた。
「オレは今年限りでこのチームからいなくなる」
「最後までオレ流 落合FA、獲得名乗りなければ引退」
日刊スポーツで「日本ハムとの契約は今季限り。最後に、もう一度自らの商品価値を見定めるためにFA権を行使する」と報じられたのは、98年7月25日のことだ。前半戦を2位西武に8ゲーム差の首位で折り返した日本ハムだったが、8月9日から1分けを挟んで9連敗と急失速してしまう。それでも、ロッカールームに集まったチームメイトたちに向かって、落合はこう語りかけるのだ。
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「チームの雰囲気がよくないのは感じていると思うけど、どう考えたって優勝に一番近いのは我々だ。ひとつの負けくらいでジタバタせず、堂々と戦おう。三振しても胸を張って戻って来ればいい。ヒットを打ったら塁上で首を傾げ、相手投手を混乱させてやれ。(中略)それから、初めて話すけど、俺は今年限りでこのチームからいなくなる。その後のことは考えていないが、若い連中はまだまだ先が長いんだから、優勝の経験は絶対にプラスになる。だから、誰のためでもなく自分のために優勝しよう」(野球人/落合博満/ベースボール・マガジン社)
なんとか流れを変えようと、上田監督は8月15日のダイエー戦で、1カ月半振りに落合を「七番一塁」で先発起用するも、4打数無安打でチームも大敗を喫した。6月25日のダイエー戦で放った左前打以降は、安打すら出ていなかった。バット一本で、あらゆる不可能を可能にしてきた落合の物語も終わりが近づいていた。
雨のラストゲーム「現役最後の打席」
そして、1998年10月7日。最大10ゲーム差をつけていた西武に逆転優勝を許した同日、千葉マリンスタジアムのロッテ戦を迎えるのだ。ダブルヘッダーの2試合目、このシーズン最終戦で有終の一発を打てば、12球団すべてから本塁打の記録が懸かっていたが、落合は上田監督からの先発出場の打診を「代打で始まったんですから」と辞退する。