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「今はエースだけでメンバーが揃うけど…」青学大“箱根駅伝4連覇”のウラにあった“叩き上げ組の底力”秘話「原晋監督もそれを見越して…」
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)本人提供
posted2025/01/21 11:03
二軍生活を経験した池田生成さん(左)や田村健人さんといった「叩き上げ」組の突き上げが青学大の4連覇達成と常勝軍団への礎を築いた
当時の青学大は高校時代に実績のある選手が入るようになっていたものの、チームは強豪校に変貌を遂げようとしている最中にあり、選手たちもギラついていた。
池田さんが二軍寮から這い上がり、上級生になって数々の実績を残すことができたのは、そういった機運に巻き込まれたことも一因だったのだろう。
「ほとんどが“這い上がり”組」だった青学大
「今の青学大はエース格や看板となる選手だけでメンバーが揃ってしまう。その意味では、当時に比べると叩き上げの選手は出て来にくいのかもしれません。そもそも私たちの代は『箱根駅伝で優勝する』つもりで大学に来た選手はほぼいなかった。だからほとんどが“這い上がり”組なんです。高校時代に悔しい思いを味わっている選手が圧倒的に多かったので、腐ったらどうなるかもよく分かっているんです」
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今や他大学に行けばエースを張れるような選手を10人揃えられる強力なチームとなった。だが、青学大が常勝軍団に登り詰めていった4連覇時は、池田さんのような“叩き上げ”の選手が下支えしていたのだ。
ちなみにその池田さんは卒業後、きっぱりと競技を離れ、現在は大手菓子メーカーのブルボンでサラリーマン生活を送っている。
「あそこまで素晴らしいチームで、素晴らしい舞台に立たせていただいた。箱根駅伝を走る前から思っていたことですが、これ以上はないだろうなっていうのが分かっていた。だから、卒業後は陸上競技から離れることを決意しました」
箱根駅伝を走ったことは、今もよく商談などで上司から話題にされるのだという。
「でも、箱根を走ったこと自体を意識することはそんなにないんです。それよりもその過程の部分ですよね。青山学院に入って、練習をして、4年間をやり切った。その経験のほうが自分の中では大きいんです」
大学時代に厳しい4年間を過ごしたことが今の池田さんの根幹にある。