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「17歳2カ月、じつはNPB最年少本塁打」金田正一は400勝以外の記録もスゴい…“デビュー前報道で敵意”長嶋茂雄でも王貞治でもない天敵とは

posted2025/01/09 17:10

 
「17歳2カ月、じつはNPB最年少本塁打」金田正一は400勝以外の記録もスゴい…“デビュー前報道で敵意”長嶋茂雄でも王貞治でもない天敵とは<Number Web> photograph by Kyodo News

1963年、300勝達成時の金田正一。10代から弱小球団だった国鉄スワローズのエースとして君臨した

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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 先発・リリーフの分業が当たり前になった2020年代、プロ野球で更新がほぼ不可能な記録と言えば金田正一が残した「400勝」である。勝利数以外の実績と、現代の成績に照らし合わせると興味深いものが見えてくる。〈全2回の1回目〉

日米で見ても「400勝以上」は金田ら3人しかいない

 2025年でプロ野球はペナントレースが始まってから90シーズン目となる。この間に偉大な記録が数多く生まれたが、中には「今後も絶対に更新が不可能だろう」と思われる記録がある。いわゆる「アンタッチャブルな記録」だが、その筆頭と言えるのが、金田正一の「400勝利」と、張本勲の「3000本安打」だろう。

 とりわけ金田正一の400勝は、投手の分業が進んだ現在では――想像を絶する大記録となっている。以下、NPBの通算勝利数5傑と、21世紀以降も投げた投手の勝利数5傑。カッコ内の年数は実働年。

〈通算〉
1.金田正一400勝(1950-1969/20年)944登板
2.米田哲也350勝(1956-1977/22年)949登板
3.小山正明320勝(1953-1973/21年)856登板
4.鈴木啓示317勝(1966-1985/20年)703登板
5.別所毅彦310勝(1942-1960/17年)662登板
〈21世紀以降〉
1.工藤公康224勝(1982-2010/29年)635登板
2.山本昌 219勝(1986-2015/29年)581登板
3.石川雅規186勝(2002-/24年)542登板※
4.西口文也182勝(1995-2015/21年)436登板
5.斎藤雅樹180勝(1984-2001/18年)426登板

※は現役

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 21世紀以降まで投げた投手の中で、金田の半分の200勝をクリアしたのは2人だけ。現役では金田の遥か後輩にあたる同じ左腕投手の石川雅規の186勝(2024年前半戦終了時点)が最多。これに続く現役投手となると164勝の楽天・岸孝之となる。近年は「日米通算」という考え方も認められつつあるが、最多は黒田博樹とダルビッシュ有の203勝であり、金田の記録ははるか先にある。

 ちなみにMLBの最多勝は、投手最高の栄誉の名前にもなっているサイ・ヤングの511勝、これに続いてウオルター・ジョンソンの417勝だが、金田の400勝はこれに次ぐ3位に相当する。

高校中退でスワローズ…すでに17歳で184cm

 そもそも金田正一は、どうしてこんな大記録を成し遂げられたのか? キャリアを振り返りながら、詳しく調べてみよう。

 金田は1933年8月1日、愛知県生まれ。享栄商に進むが3年に進学する直前に、国鉄の西垣徳雄監督にスカウトされ、高校中退で国鉄スワローズに入団する。1950年は、高校進学率は42.5%に過ぎず、中卒で働く若者の方が多かった。また中途退学も珍しくなかった。たとえばプロ野球界でも、金田より4学年下の馬場正平(のちのジャイアント馬場)は、1955年、高校2年で中退し、巨人に入団している。

【次ページ】 14年連続20勝という空前の記録も

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