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「ワシ、投げるから」先発が続投なのにマウンドへ…“批判されたエース”金田正一の埋もれた事実「メジャーも熱視線」「巨人移籍後の成績は?」

posted2025/01/09 17:11

 
「ワシ、投げるから」先発が続投なのにマウンドへ…“批判されたエース”金田正一の埋もれた事実「メジャーも熱視線」「巨人移籍後の成績は?」<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

2006年の金田正一。引退後もロッテ監督、名球会など球界で存在感を放った

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Toshiya Kondo

 先発・リリーフの分業が当たり前になった2020年代、プロ野球で更新がほぼ不可能な記録と言えば金田正一が残した「400勝」である。その実績と、現代の成績に照らし合わせると興味深いことが見えてくる。〈全2回の2回目〉

先発が4回無失点、味方が先制「ワシ、投げるから」

 国鉄スワローズは、金田正一の登板を中心に回っていたといっていい。1960年のシーズン終盤、金田は「10年連続20勝」という大記録の達成を目前にしていた。

 残り5試合となった9月30日の時点で、金田は19勝。この日の中日戦ではプロ入り4年目で未勝利の島谷勇雄がマウンドに上がった。金田は途中からマウンドを引き継ぐ気、満々でブルペンで投球練習をしていたが、島谷は4回無失点で抑え、味方が2点を先取する。すると……。

「ワシ、投げるから」

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 金田は監督に確認せずに審判にこう告げてブルペンからマウンドに向かったが、島谷もマウンドへ。2人の投手がマウンドに立つこととなった。宇野光雄監督は「まだ4試合あるから」と島谷を続投させた。金田はしぶしぶ引き下がったが、手にしたボールをグラウンドにたたきつけた。意外な展開に観客席がどよめく。

 しかしこの回、島谷が先頭の横山昌弘に三塁打を打たれたので宇野監督は金田をマウンドに上げた。金田は1失点したものの完了し、20勝を挙げた。

 翌日のスポーツ紙は「金田、10年連続20勝」の見出しの横に「5回無死三塁に島谷救援」と添えた。また読売新聞は、金田がグラウンドにボールをたたきつけた行為に対して「大記録を汚すもの」と批判した。宇野監督は島谷を気の毒に思ったのか、残り4試合中3試合に起用したが、勝ち星は挙げられず。島谷はついにプロ未勝利(0勝2敗)で引退することになった。この時期から、「金田天皇」という言葉もささやかれるようになった。

 1964年時点で金田正一は、353勝267敗、防御率2.27の成績を挙げていた。同期間に国鉄スワローズは833勝1070敗41分、勝率.438。金田の勝敗を差し引くと480勝807敗、勝率.373にまで下落する。金田正一という投手の影響力がいかに大きかったかを物語るデータだ。

日米野球を受けてMLBが熱視線を送ったことも

 なぜ、金田はこうした偉大な成績を挙げることができたか?

 当然ながら、金田が投手として抜群の実力があったことが大きい。金田は後年「わしの全盛期には速球は170km/h(180km/hとも)は、出ておっただろう」と豪語している。今となっては証明の術はないが、当時としては圧倒的な速球投手だったのは間違いない。またカーブも「史上最高のカーブだった」という評価がある。

 高い評価は、日本国内だけではなかった。

【次ページ】 金田が「故障知らず」だった要因を推察すると…

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