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箱根駅伝“3代目山の神”青学大・神野大地のいま…“プロ転向”は失敗だった?「もうダメかもな、と何度も」本人が明かす胸の内「それでも心の奥に…」
text by
泉秀一Hidekazu Izumi
photograph byNanae Suzuki
posted2025/01/08 17:00
青学大時代は山上りの5区で好走を見せ「3代目・山の神」と呼ばれた神野大地。卒業から9年が経った「神」の現在地とは?
箱根駅伝優勝…あの「高揚感」をもう一度
青山学院、山の神、そしてプロランナー。神野大地の経歴を並べると、エリート街道を歩んできたように聞こえるかもしれない。
しかし、陸上を始めた頃の神野は、決して突出したランナーではなかった。中学卒業時のベストタイムは、1500mが5分4秒、3000mが10分27秒で「女子より遅かった」(神野)という。
それでも神野は、自身の長距離への適性を感じていた。
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「小さい頃にやっていた野球は才能8割、努力2割の世界。身長が低くパワーのない僕はどうしても体格差で圧倒されてしまい、なかなか勝てません。でも、長距離は努力したら上にいける可能性がある。才能2割、努力8割の世界ですから」
努力を重ねて高校時代に自己記録を伸ばし、青山学院からの推薦を勝ち取った。大学では2年から頭角を現し、学生ランナーのトップ層に食い込んだ。
3年の箱根駅伝では5区の山登りで驚異的な区間記録を樹立し、一気に学生スターランナーとして有名になった。
20%以上の視聴率を誇る箱根駅伝のスター選手の元には、大量のファンレターが届く。その高揚感は格別で、一度味わうと逃れにくい。そのため、大学を卒業してからも高揚感を求めて、大きな目標を掲げる選手が多い。
神野もその一人だった。箱根以上に興奮できそうな数少ない舞台の一つが、世界中から注目が集まる五輪のマラソンだった。しかも、次の開催地は東京。目指さない理由はなかった。
世界トップレベルとの差は認識しつつも、それまで逆境を切り開いてきたという自信もあった。そうした過去の実績が、神野に五輪でのメダル獲得という可能性を抱かせていた。