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箱根駅伝“3代目山の神”青学大・神野大地のいま…“プロ転向”は失敗だった?「もうダメかもな、と何度も」本人が明かす胸の内「それでも心の奥に…」 

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泉秀一

泉秀一Hidekazu Izumi

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photograph byNanae Suzuki

posted2025/01/08 17:00

箱根駅伝“3代目山の神”青学大・神野大地のいま…“プロ転向”は失敗だった?「もうダメかもな、と何度も」本人が明かす胸の内「それでも心の奥に…」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

青学大時代は山上りの5区で好走を見せ「3代目・山の神」と呼ばれた神野大地。卒業から9年が経った「神」の現在地とは?

コニカミノルタに入団も…「時短勤務」の実態

 プロランナーを意識したのは、社会人2年目の冬だった。青学卒業後に入社した強豪のコニカミノルタでも期待され、1年目のニューイヤー駅伝でエース区間の4区を、2年目はアンカーの7 区を任された。

 しかし、心の中で「東京五輪」の4文字が大きくなるにつれて、実業団に所属するメリットが薄れていった。

「安定的に給料をもらいながら走れる。実業団はすごく恵まれた環境です。でも、社員である以上は、仕事に行かないといけない。次第に、その時間を競技に充てられたら、と思うようになりました」

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 企業からしても、アスリート社員の扱いは難しい。業務に携わってもらう必要はあるが、働かせすぎて競技に影響しては本末転倒だ。結果、仕事量は絞られることになる。

 神野に与えられた仕事も、ごくわずかだった。配属された機能材料事業部では、月・火・木・金の8時半~14時までが勤務時間。時短勤務の中で課されるタスクは事務作業が大半だった。

「上司の方にも気を遣っていただいて、頑張れば1日で終わる仕事の納期が2週間くらいありました。早く終わらせても会社にいる必要があるので、練習や体のケアには行けない。五輪選考会が刻々と迫る中で、もどかしさが募っていきました」

 退社を決断したのは、社会人になって2年が経過した2018年4月末。東京五輪のマラソン代表を目指し、プロランナーとしての活動がスタートした。

<次回へつづく>

#2に続く
「神野は終わった」と言われても…箱根駅伝“3代目山の神”に新チームが“選手兼監督”オファーを出したワケ「もっと好記録の選手はいる。でも…」

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