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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝“山の神”に「絶対なりたい、とは思わなかった」東洋大・宮下隼人が逃した“神”にいま思うこと「5区の区間記録はプライドでした」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/01/07 17:20
柏原竜二に憧れ、東洋大で5区を走って区間新記録をマーク。山の神にあと一歩まで肉薄した宮下隼人
「分割データを持っていて、その区間、僕は他の選手よりも速かったんです。それに過去の山の神、今井(正人)さんも柏原さんも神野(大地)さんもみんな、ここで結果を出していた。ここはもう俺の勝負どころだ、と思って前に出たんです」
宮下は、トップの創価大に2分14秒差の2位でゴール。区間賞は細谷翔馬(帝京大)で、宮下は区間3位に終わった。この時、区間6位に入ったのが、のちに宮下の区間記録を破ることになる山本唯翔(城西大―SUBARU)だった。
最後の箱根にキャプテンとして臨むも…
4年生ではキャプテンになり、闘将と呼ばれた柏原のように、自らが先頭に立ち引っ張っていく姿を理想にしていた。だが、故障して治りかけの状態で「自分がやらないといけない」と無理をして、調子がなかなか戻らなかった。全日本ではシード権を失い、切羽詰まった状態に追い詰められ、最後の箱根に臨んだ。
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しかし、最後の5区は区間8位に終わり、チームは総合4位だった。
「4年の時は、自分のことよりもとにかくチームをどうにかしなきゃっていう思いが強かったです。後輩たちに箱根3位とか結果を残して卒業しなきゃって思っていたので、自分の状態が上がっていなかったのもありますが、山の神とか考えられなかったです」
神にはなれなかったけれど
2年生で出した区間記録を自ら更新することはできず、山の神にもなれなかったが、得たものは大きかった。
「区間記録を持っているというプライドがありましたし、それが自信にもなりました。関東インカレなどのレースでも簡単には負けられないという気持ちが強かったですし、3年の時は吉川(洋次)さんや西山(和弥)さんという強い先輩がいたんですけど、先輩に頼らず、自分が引っ張っていかないと、という気持ちになりました。
それに5区を見て、自分の名前を知り、応援してくれる人が増えました。そういう意味では、神にはなれなかったですけど、5区で、大学時代に得られたものはすごく大きかったです」
「もう5区から卒業したい(笑)」
区間記録を出した3年後、宮下は日本テレビの解説としてスタジオに呼ばれ、そこでモニター越しに自分の区間記録を破られる瞬間を経験した。
「悔しかったですけど、山本(唯翔)君は速かった」
第101回箱根駅伝では、その山本の記録を若林宏樹(青学大4年)が更新した。
「これからも5区の記録は何度も更新されていくと思います。そのくらい学生の力が上がっています。僕は、もう5区から卒業したいですね(笑)。東洋大の5区の宮下ではなく、コニカミノルタでマラソンの日本代表の宮下と言われるようになりたいです。そろそろ、そういう風に上書きしていきたいと思っています」
〈山本唯翔編につづく〉