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ぶら野球BACK NUMBER
野村克也監督「死球くらいでガタガタ言うな!」野村ヤクルトと長嶋巨人が“大乱闘”…ノムさんに狙われた巨人落合博満40歳「落合は何を考えとるんや」
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/11/24 11:00
1994年2月の宮崎キャンプ。ウインドブレーカーを着たまま、キャンプ初のティー打撃に取り組む落合博満40歳
「ある日の川崎球場、試合後、私は査定表をつけるのが日課だったから球場を出るのは一番最後。そこへ掃除のおばさんが現れて、まだロッカーに選手が1人いて掃除ができないから帰れません、というんです。ロッカーに行ってみると、試合が終わって1時間も経とうかというのに、落合がユニフォームのままバットを持って大鏡の前に立っている。あまりの真剣な表情に、声もかけられなかったよ」(週刊ベースボール1994年2月14日号)
「落合vs.マスコミ」批判的な報道が始まった
オレ流と呼ばれたリアリストは、人前で誰かにアピールするための練習なんかに意味はないと思っていたのだ。だが、新天地の巨人はこれまでとは勝手が違った。ファンの前ではなくエアテントの中で黙々と打ちこみ、球団側が記者陣との異例の「お茶会」をセッティングするも、質問にまともなコメントを返さないマイペースぶりに、次第にマスコミもイラだったような報道が増えてくる。
「何でもカネ、カネにチーム内からも批判が 巨人落合博満『即席いい子』の化けの皮がはがれた後」(週刊現代1994年2月26日号)、「落合・松井・槙原は巨人の優勝をダメにする“V逸トリオ”だ」(週刊現代1994年3月5日号)、「落合vs.マスコミ、一茂vs.張本…巨人キャンプの一触即発!」(週刊宝石1994年3月10日号)といった批判的な記事が目につくようになる。
《チームも絶不調のなかとうとう迎えた開幕戦。そこで落合は“一振り”で周囲をあっと言わせる。》
<後編に続く>