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巨人まさかの25失点大敗、ナベツネ激怒の事件「ファンへの冒とくだ!」…落合博満40歳が“最悪の空気”だったジャイアンツをわずか一振りで変えた夜
posted2024/11/24 11:01
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売1カ月で3刷重版と売れ行き好調だ。
その書籍のなかから、「巨人落合博満、開幕戦の夜」を紹介する。野村克也の挑発、メディアの批判、そしてナベツネ激怒の事件……“最悪の空気”を落合が一振りで変える。【全2回の後編/前編も公開中】
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<巨人で初の宮崎キャンプに参加した落合博満40歳。しかしヤクルト野村克也からの攻撃が始まり、同時にメディアからも落合に批判的な報道が増えてきた。>
原辰徳がまさかの“アキレス腱断裂”
1994年2月27日の近鉄とのオープン戦初戦、落合は「四番一塁」で顔見せ出場。初の実戦の第1打席は阿波野秀幸に平凡な右飛に打ち取られ、3回の守りから交代した。長嶋監督のチームに対するキャンプ総括採点は「60点」という辛いもので、「今年のテーマは若手の底上げでしたが、むしろベテランに引っ張られた感じで……」と顔をしかめた。オープン戦で巨人が初勝利を挙げたのは7戦目。初戦から6連敗を喫し、前年に12球団最低だったチーム打率は、新シーズンも改善の兆しが見えず2割を切る低迷ぶりだった。
3月になると松井が右背筋痛を再発させて離脱、落合も調整のため九州や大阪の遠征には不参加。そんな中、志願して九州シリーズに参加したのが原だった。キャンプ中、室内練習場で原が落合の練習方法でもある、ホームベースをまたいでマシンに正対して構え、ボールを体の前で払い打つ「正面打ち」を教えてほしいと頭を下げたこともあったが、落合の反応は「やめとけ。ケガするだけだ」とそっけないものだった。
周囲からは「原はお人好しすぎる」なんて声もあがる中、35歳の元四番打者は生まれ故郷の九州で試合に出る。3日のロッテ戦は4打数ノーヒットに終わったが、長嶋監督は「気持ちが、ええ、出るという気持ちが大事なんですよ」と前年までとは違う背番号8の姿勢を称えた。
落合の加入に危機感を覚え、キャンプでも例年以上のハイペースで調整。オープン戦も序盤から出場するなど原は飛ばした。いや、飛ばしすぎた。3月23日、前橋でのヤクルト戦で35歳の身体は悲鳴を上げてしまう。持病のアキレス腱痛が悪化して、MRI検査を受けたら一部が切れていた。開幕直前に左アキレス腱の部分断裂で無念の離脱である。
「巨人を棄てる。」事件は起きた
3月12日にはジャイアンツ球場で、フリーバッティングをする落合が一緒になった松井に声をかけ、「20分も30分も打ち続けたら、体がバラバラになるぞ。あまり急に飛ばさんほうがいい」とアドバイスを送った。下旬には、出遅れていた松井が一軍再合流。