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「オオタニと差が開いてしまった…」「まさか落球」ヤンキースの英雄から“戦犯”に「死ぬまで忘れない」アーロン・ジャッジが負った深すぎる傷 

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杉浦大介

杉浦大介Daisuke Sugiura

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posted2024/11/06 11:05

「オオタニと差が開いてしまった…」「まさか落球」ヤンキースの英雄から“戦犯”に「死ぬまで忘れない」アーロン・ジャッジが負った深すぎる傷<Number Web> photograph by Getty Images

大きな期待を寄せられていたアーロン・ジャッジ(32歳)。自身初のワールドシリーズは、苦い記憶として刻まれた

 もちろんこれでジャッジのキャリアが終わったわけではない。メジャー最大級の名門ヤンキースの一員である限り、ポストシーズンで戦うチャンスはまた遠からぬうちに訪れる。プレーオフの歴史を紐解くと、当初は苦しんでも、次第に活躍の術を見つけるようになった“贖罪のストーリー”はニューヨークにも数多く存在する。

 ティノ・マルティネスは最初の数度のプレーオフでは打てなかったが、ヤンキースでのキャリア後半は開眼し、1998〜2001年に4年連続ワールドシリーズに進出する立役者となった。A・ロッドことアレックス・ロドリゲスは一時、勝負弱さの代名詞のように目されたが、チームに27度目の世界一をもたらした2009年のプレーオフでは6本塁打で汚名返上に成功した。そんな贖罪リストの中に、同じく2009年の世界一の立役者となった松井秀喜氏も含まれるのだろう。

「2009年よりも…」松井秀喜の言葉

 クラッチヒッターの印象が強い松井氏だが、実は2005〜07年のプレーオフでは合計47打数10 安打(打率.213)、1本塁打と低調だった。そんな“ゴジラ”がついに爆発し、ワールドシリーズMVPを獲得したのがヤンキースとの契約最終年だった2009年だった。今秋、そういった自身のポストシーズンの軌跡を振り返った際の松井氏の言葉は実感がこもって響いてきた。

「結局、(プレーオフは)勝った負けたの印象になるんですよ。ずっと負けていたんで、特に自分が打てなくて負けたっていうのはすごく今でも印象に残っています。皆さん、よく2009年の(優勝を)ことを言って下さいますけれど、自分が打てずに負けた試合の方が未だに残っています。そういうものです」

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