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松井秀喜「4球団競合ドラフト」で“指名漏れ”した同級生エースのその後…彼の野球人生は悲劇だったのか?「後悔はいっぱいあったけど…」 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/10/27 17:23

松井秀喜「4球団競合ドラフト」で“指名漏れ”した同級生エースのその後…彼の野球人生は悲劇だったのか?「後悔はいっぱいあったけど…」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

4球団競合の末に巨人入団した同級生の松井秀喜の一方で、エースの山口哲治は指名漏れの憂き目に。その後の波乱万丈な野球人生とは?

 球速は130キロ台後半ながら、スピンの効いたストレートを投げられていたが、次第に納得できないボールが増えていく。やがて山口は、現状打破のためにピッチングフォームを変えた。やや腕の位置を下げるスリークォーターから始まったフォームは、最終的にサイドスローとなっていた。

「下げた当初はうまくいっていたんですけど、それまでは上から投げていたわけですから使う筋肉もちょっとずつ変わっていくわけじゃないですか。そうなるときつくなるから、また腕が下がる。そうやって楽なほうにいってしまったから、当然のようにいいボールが投げられなくなるっていう」

 8年目の2000年。“楽”を覚えてしまった山口の肩が、いきなり悲鳴を上げた。

 日本選手権の予選でのこと。このとき中継ぎピッチャーとなっていた山口がブルペンで準備をしている最中、「ブチ」と鈍い音が聞こえたような気がした。その瞬間、肩に激痛が走る。すぐに病院で検査を受けると、ピッチャーにとって生命線とも言える腱板の一部が断裂したことが判明した。

 それでも山口は、痛み止めの注射を打ちながらマウンドに立ったという。当時の神戸製鋼が余剰戦力を抱えていなかったこともあったが、なによりも出会いを大事にしてきただけに、誠意を尽くしたかったからである。

引退…その瞬間に感じたのは「安堵感」

 プロには行けなかったがピッチャーとしては成長できたし、先の三輪たちがそうだったようにチームメートに恵まれたと思っている。このとき指揮を執っていた監督の鈴木英之は、山口が入社した当初はキャプテンで、上下関係には厳しかったが頻繁に遊びに連れて行ってくれるような兄貴肌の先輩だった。

 日本選手権が終わると、山口は鈴木から呼ばれ、こう切り出された。

「もう、引退でいいんじゃないか」

 山口が黙って頭を下げる。床に滴り落ちていた雫を見つめていると、心が穏やかになっていく自分を確認できた。

「安堵感です。『もう、投げなくていいんだ』って、解放された気分になりました」

 神戸製鋼は最初の約束を守った。

 野球を引退した山口は、今も会社に残っている。現在は鉄鋼アルミ事業の工程部門の室長と、責任あるポストに就く。今年で50歳。なかなかの出世である。

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