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野球クロスロードBACK NUMBER
松井秀喜「4球団競合ドラフト」で“指名漏れ”した同級生エースのその後…彼の野球人生は悲劇だったのか?「後悔はいっぱいあったけど…」
posted2024/10/27 17:23
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
JIJI PRESS
巨人の1位と指名漏れ。
くっきりと明暗が分かれたドラフト当日について、星稜のエースだった山口哲治は、ともにチームをけん引してきたスラッガーの松井秀喜と語り合ったことがないという。
「お互いに距離はあったはずなんです。松井は自分に気を遣ってくれていたでしょうし。だから、会話をした記憶はほとんどないです」
実際、当時はふたりがひざを突き合わせて話すだけの時間が物理的になかった。
松井は連日のように取材に対応し、プライベートでも「春季キャンプに行くまでに免許を取らないと」と、少ない空き時間で自動車教習所に通っていたことで忙殺されていた。
“指名漏れ”した山口に訪れた「来訪者たち」
そして、指名漏れという屈辱を味わった山口もまた多忙となった。
ドラフト会議翌日の1992年11月22日は日曜日で、次の日も勤労感謝の日で祝日だった。それは、ショックに打ちひしがれ「外に出たくない」と思っていた山口にとって、唯一といっていい慰めだった。
そんな山口のもとへ来訪者がやってくる。
まずは松本哲裕や北村宣能ら、ドラフト当日に教室で最後まで山口に付き合ってくれていたクラスメートたちだった。気を許せる仲間が自宅まで自分の様子を見に来てくれたことに、山口は「救われた」と今も頭を下げる。
そんななか、自宅のチャイムが再び鳴る。次なる来訪者は、神戸製鋼と名乗った。
せっかく松本たちが指名漏れの傷を癒してくれていたというのに――と、山口は水を差された気分になったという。
「みんなが遊びに来てくれて救われたと言っても、へこんでるはへこんでるんですよ。『なにしにくんねん』ってなりますよね」
社会人野球の最高峰と呼ばれる都市対抗野球で優勝を経験するなど、大会の常連でもある強豪チームからの勧誘だった。