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野球クロスロードBACK NUMBER
松井秀喜“4球団競合ドラフト”のウラ側で…指名漏れした「星稜高のエース」は何者だった? 「『恥ずかしい』が一番」「監督にも挨拶せずに…」
posted2024/10/27 17:22
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
JIJI PRESS
濃密なる高校3年生の記憶。
世間からどれだけ過去を美化されようと、本人からすれば必ずしもそのように清算できるものではない。
1992年。山口哲治は2度の痛恨を味わっている。最初は8月16日だった。
その日、甲子園球場は揺れていた。
あの「5打席連続敬遠」試合の星稜のエース
ゴジラと呼ばれる怪物スラッガーが、ネクストバッターズサークルで静かに座している。
3年夏の甲子園を迎えた時点で通算59本のホームラン。プロのスカウトから熱視線を送られる星稜の4番・松井秀喜は、この試合でバットを振ることを許されていなかった。
優勝候補と呼ばれていた星稜は、明徳義塾を相手に苦しんでいた。主砲の松井が、第1打席から外角に大きく外れる敬遠気味のフォアボールで勝負を避けられている。1年生の秋からエースとなり、松井と両輪としてチームを支えてきた山口もゲーム序盤で3失点と、ピッチングの流れを掴めずにいた。
「相手は最初から不気味な感じでした。だから、こっちも手探りで投げていたら、あれよ、あれよという間に点を取られてしまって。でも、冷静は冷静やったんですよ。松井が歩かされるのは特別なことではなかったし、最初のほうは普通のフォアボールくらいにしか思っていなくて。でも、それが続いたことによって後ろを打つバッターが固くなってしまったんでしょうね。だんだん追い詰められて」
2-3と1点を追う9回表もあっという間に2アウトとなり、3番バッターの山口に打席が巡ってきた。あとひとり――この窮地においても、山口は落ち着いていたという。
バッターボックスに入る直前、学校ではクラスメートで仲の良い松本哲裕が、ファーストコーチャーズボックスから駆け寄ってきた。
「絶対に打てよ!」