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野球クロスロードBACK NUMBER
松井秀喜「4球団競合ドラフト」で“指名漏れ”した同級生エースのその後…彼の野球人生は悲劇だったのか?「後悔はいっぱいあったけど…」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2024/10/27 17:23
4球団競合の末に巨人入団した同級生の松井秀喜の一方で、エースの山口哲治は指名漏れの憂き目に。その後の波乱万丈な野球人生とは?
「うちは誠意しかありません」
神戸製鋼野球部の担当者はそう言った。
そこに山口の父親が「野球をやめても会社に残してもらえますか?」と尋ねると、相手は「もちろんです」と答えた。
ドラフトの翌日という急展開であることもあって山口は面食らっていたが、このやり取りだけは脳裏に残っていたという。
社会人の強豪による争奪戦…選んだチームは?
連休が明け学校が始まると、社会人チームによる山口の“争奪戦”が始まった。
午前中の授業が終わると、昼休みに学校まで来てくれた社会人チームの担当者と面談し、下校してからは自宅で別のチームの担当者と会う。10社以上もの企業から誘いを受けた山口が決断したのは、年の瀬も迫った12月末のことだった。
選んだのは神戸製鋼だった。
自分の意思を監督の山下智茂に伝えると、「ええ!?」と驚かれた。それはそうだ。山口を勧誘したチームのなかには、都市対抗での実績が神戸製鋼よりも豊富で、より好条件を提示したチームがあったからだ。そんななか神戸製鋼に決めた理由は、「最初に来てくれたから」だった。
「なんかご縁を感じたというか。自分がへこんでるとき、最初に来てくれたっていうのも後々考えると恩義に感じましたし、そういう出会いを大事にしたかったんでしょうね」
神戸製鋼に入社した山口は、高卒から最短でプロに行ける「3年」を目標に腕を磨き、自身が大事にする「出会い」によってピッチャーとして成熟を果たすことができた。
バルセロナオリンピックに出場した正捕手の三輪隆(元オリックス)やピッチャーの米正秀(元横浜)から、ピッチングの奥深さを学ぶ。そのことで高校時代に課題としていたコントロールが向上し、バッターに対して強気に攻められるようになった。3年目に入社した大卒キャッチャーの和田一浩(元西武ほか)とも信頼のおけるバッテリー関係を築けていた山口は、チームのローテーションピッチャーとして中心選手となっていた。
結果として3年でのプロ入りは叶わなかったが、「4年目くらいまでは行けるんじゃないか? と思っていました」と語るように、この時点では可能性は残されていた。
そんな山口が自分のピッチングに異変を感じるようになったのは、5年目以降だ。