熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
65億円移籍のロシアで“ハブられ”、屈辱のW杯も…「日本に感謝だ。引退したら旅行したい」“今は6児の父”暴れん坊FWフッキ38歳が語るワケ
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2024/09/23 11:05
現在は母国ブラジルのクラブでプレーを続けるフッキ。38歳の今もなお意気軒昂だった
「2010年大会に出場できなかったから、とても嬉しかった。親族、友人のために数十枚のチケットを手配し、バスを仕立てて応援に来てもらった」
――開幕戦(対クロアチア)で先発し、後半途中までプレーしてチームの勝利(3対1)に貢献。その後も、1試合を除いてすべて先発した。しかし、得点をあげることはできず、セレソンは準決勝でドイツに1−7という歴史的大敗を喫して敗退。
「みんな、国のために死にもの狂いでプレーした。でも、準決勝では歯車が完全に狂っていた。何も言い訳をする気はない。ただただ、残念だった」
――ゼニトでは、2014-15シーズンにロシアリーグで15ゴールを記録して得点王となり、リーグ制覇に貢献。2015-16シーズンまで計4シーズン、プレーしました。ロシアでのプレーで印象に残るのは?
「優れた選手が大勢いて、コンペティティブなリーグだったけれど、一番印象に残るのは冬の寒さだね。真冬の3カ月間はリーグが中断されるんだけど、中断直前の12月初めの試合で零下20度を下回ったことがある。手袋をはめ、タイツをはいてプレーするんだけど、ボールを蹴ると足が痛い。まるで麻酔をされたように、全身の感覚がなくなる。本当に大変だった」
中国移籍後はケンゴの川崎と対戦したよ
――2016年7月、推定移籍金5600万ユーロ(約91億円)で上海上港へ移籍します。中国リーグの印象は?
「当時は、財力がある企業が主要クラブをサポートしており、欧州と南米から有力選手や実績を残した監督を補強して競っていた。僕のクラブも、ブラジル人やアルゼンチン人の選手を集めて強化に努めていた。上海はアジアのニューヨークのような町で、生活面では全く問題なかった」
――初年度は故障で欠場が多かったが、2年目からは攻撃の柱として活躍。2018年にクラブ史上初のリーグ優勝を成し遂げます。アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)では、古巣の川崎フロンターレ、そして浦和レッズ、鹿島アントラーズらJクラブとも対戦しました。
「僕が日本を離れてから10年余りで、Jリーグのチームはとても強くなっていた(注:2017年に浦和、2018年に鹿島がACLを制覇)。2017年、埼玉スタジアムで浦和レッズと対戦した(1−0で浦和が勝利)。2018年には、懐かしいトドロキ(等々力陸上競技場)で旧知のケンゴ(中村憲剛)がいた川崎と対戦し、1−0で勝った。2019年には、ホームで川崎と対戦し、僕のゴールで1−0で勝った」
40歳になるまで母国クラブと契約している
――2016年から2020年までの上海上港在籍中、ACLでJクラブと10試合対戦して7得点。日本キラーでした。