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《単独インタビュー》中上貴晶「ダメ出しもしたが感謝しかない」MotoGP残り8レースのいま振り返るホンダへの思い
text by
遠藤智Satoshi Endo
photograph bySatoshi Endo
posted2024/09/05 11:02
シーズン途中にテストライダーへの転身を表明した中上だが、その表情は明るい
「テストライダーになると決めたのはオーストリアGPですね。自分の中でいろいろ考えたし、『続けて欲しい』と言ってくれた家族とも相談した。いまの自分はスピードが足りなくてリザルトが悪いわけではない。だからこそホンダも新たな役割をあたえてくれるのだと思って決断した。30歳を過ぎたあたりから次の人生を意識するようになった。タイミングとしてはベストだったと思う。すごいリザルトを残して引退というのではないけれど、やるべきことはやったという思いはある。この数年はホンダが苦戦している時期に重なってしまったけれど、自分に対してはネガティブな部分はないですね」
苦しい戦いが始まった2年前には、ホンダチームアジアでMoto2クラスを戦う小椋藍のMotoGP昇格とLCRホンダからの参戦計画が浮上した。このときは小椋が「Moto2でチャンピオンを獲るまで」と辞退したことで、中上の参戦継続が決まった。
1年契約が続いていた中上にとって契約更改の喜びは大きく、周囲にもその喜びはすぐに伝わった。「MotoGPは1年1年が勝負」と語る中上だが、MotoGPクラスはその言葉通りに厳しい世界なのだということを実感させられた。
コロナ禍と重なったキャリアの絶頂期
その中上が唯一2年契約を結んだのは20~21年だった。その最初のシーズンとなった20年はコロナ禍で全15戦(MotoGPは14戦)が行われた。この年はまだ、ホンダのバイクのパフォーマンスが高く、中上が完走したレースはすべてトップ10フィニッシュ。表彰台獲得はなかったが、PP獲得を果たし総合10位の成績だった。
これが、過去もっとも成績の良いシーズンだった。次のシーズンのことを気にせずノビノビ走れたからなのかもしれない。あるいは「大変だけどリズムがあって好き」な同一サーキットでの2週連続のレースが多かったのが理由なのかもしれない。確かにコロナ禍の中での2連戦では、2戦目のリザルトが圧倒的に良かった。
しかし1年契約のシーズンは、前半戦の頑張りに比べると契約更改が済んだ後半戦でリザルトが悪化した。契約更改はシーズン前半の成績が判定材料になるのだが、契約更改が決まった中上は安心してしまうからなのか、前半戦のような気迫が乏しいように感じることが多かった。
「今年も来季のことが決まるまではホンダで1番を目指した。来年につながるかも知れないと、転倒リタイアしないようにがんばってきた。いまはレギュラーライダーじゃないというところで来年の契約も決まって、前半戦のような強い気持ちはない。ただ、日本GPだけは特別なレースだし、オレがホンダで一番速いんだというところを見せたい気持ちはある。ここからの残りのレースは、いままで通りにやり残すことなく準備し、全力で挑んで前進していきたい」